スポーツ現場の最前線に関わるようになって16年目。今まで数え切れないほどの選手、コーチやスタッフと関わってきました。数が多ければ多いほど、一人ひとりは本当に千差万別。
これまでの出会いを振り返ってつくづく感じるのは、「素晴らしいプロフェッショナルである選手やコーチとの出会いが今の自分を創ってくれている」という思い。
オーバーでもなんでもなく、こういった稀有な人物たちの存在が私の「人間らしい商品としての実力」を倍速で高めてくれたはず。
今日はそんな恩人の一人、レン坂田さんについてです。
レン坂田という人物
千葉ロッテマリーンズに所属して6年目。2008年に入って、新しい二軍監督の下で仕事をする機会に恵まれました。
レン・坂田氏。
1977年のメジャー昇格から引退する1987年までの11年もの間、ボルティモア・オリオールズを中心にメジャーリーグでプレーをしたホノルル生まれの日系アメリカンです。
…厳密にいうと日本人(というか日本人の体で挑んだ)初の野手のメジャーリーガーは彼。そのことはあまり知られていませんが。
レンさん自身は1995‐1997年に千葉ロッテに二軍監督、そして一軍守備コーチとして在籍していた事があり、10年ぶりの日本球界復帰でした。
彼は日本語は少ししか話せず、会話は基本英語。
当時ファームには通訳の方が一人しかいなかった事もあり、直接話しかけてもらう機会が多かったんですよね。
2008‐2009年の二年間で、色々な話をして下さいました。
男気あふれる人柄
決して派手なパフォーマンスはせず、どちらかというとシャイ。それでも決して選手をおざなりにせず、一人一人を性格も含めて、よく観察している指導者。
どのレベルの選手にもプロであることを求め、自らも100%プロとして自分を律する事を苦にしないプロフェッショナル。
どんな大きな権力に対しても自分の信念は決して曲げず、どんなに小さな声に対しても正しいと思えば耳を傾ける、尊敬すべき頑固者。
今まで様々な指導者の方に接する機会がありましたが、こんなに潔い、男気を感じるコーチは初めて。心から尊敬できる指導者だったんです。
2008年のレンとの思い出
レンとのエピソードで忘れられないものがあります。それは2008年の夏の出来事。遠征先で、レンに誘ってもらい通訳の矢嶋さんと共にお食事に連れて行ってもらったときのこと。
内容は一応オフに向けてのミーティング的な趣旨のもの。
ですが、終始リラックスした雰囲気で食事は進み、奇しくもTVでは日本が敗退した、オリンピックの韓国対キューバが映し出されていました。
少しアルコールも進み、レン監督がぼそっと切り出しました。
「もうかれこれ、100年以上前に、誰々(この名前、定かでなし)が野球のルールって決めたんだぞ。…すごくないか?そいつは本当に天才だっていつも思うんだ…。」
「投手からホームプレートまでの距離、ホームから一塁までの距離、内野と外野の距離感…。時代が移り変わって、選手も道具も、プレーする人種だってどんどん変わってる。
…それなのに、ショートの奥に飛んだゴロがファーストでアウトになるかどうかの、あの微妙なタイミング。外野からホーム送球した時のクロスプレーのあの距離感。
どんなに時代が移り変わっても、4割を打つバッターはほとんど出ないし、防御率1.00を切るような投手も出ない。」
「他のスポーツを見てみろ。バスケットの3ポイントラインは年々後ろに下げられて、フットボールも選手の体格が良くなった事に対応して、ルールを微調整しなくちゃいけなくなってるだろ。…野球だけなんだよ。ずっと変わらないのは。」
「野球は特別なんだよ。野球には不変的な何かがあって、それが面白い。紛れがほとんど起きない他のスポーツはやっぱり俺には退屈なんだよなぁ。」
そう語るレンさんの眼は野球少年のように遠くを見つめていました。…こういう顔に弱いんだよなぁ。
こんな話を聞いちゃうと、自分の心の奥にいる野球小僧の虫が疼きだすんだろうな。野球が好きだなぁ。もっともっとこれを知っていかないともったいないよなぁ…
ほとんどお酒は飲まなかった私でしたが、レンの野球談議に酔った思い出の夜となったんです。
小宮山さんが教えてくれた2009年エピソード
今度は2017年のフェイスブック投稿にて小宮山さんが当時のエピソードを挙げてくれていたもの。2009年の千葉ロッテ二軍監督、レン・サカタの素敵な対応というか、その姿勢に関するものです。
小宮山さんの投稿、ご本人から了承をいただき大意をまとめたものをご紹介します。
『1軍が順位確定した時点で、2軍監督だったレン・サカタに、このシーズン限りでの『引退』を伝える事にしていました。
ところが計算ミスで、順位確定前の9月の下旬に、とあるスポーツ新聞が、『引退』の記事を掲載するとの連絡が……。
横須賀でのベイスターズ戦のため、新横浜プリンスホテルに宿泊してましたが、23時に監督であるレンを掴まえ矢嶋通訳とミーティング……。
『隠していて、申し訳ありませんでした。実は今季限りで引退すると決めてマイナーに来ました。
ボビーには5月に伝えてあり、レンには黙って若い選手にベテランのマイナーリーガーが、毎日必死に練習する姿を見せて、刺激を与える事を仕事とし、迷惑をかけないようにしてました……。
色々、ありがとうございました。ファーム選手権の可能性のあるチームの力になれるように、残り頑張りますので、よろしくお願いします……。』
そう言って、矢嶋通訳が丁寧に言葉を選びレンに伝えてくれると、レンの第一声が…。
まさに、藍ちゃんのそれでした…。
“Congratulations!”
『おめでとう。ここまで築き上げたKomiの野球選手としてのキャリアを心からお祝いします』と…。
ちょっと、グッと来ましたね……。
翌日、横須賀スタジアムの試合前にレンが時間を作ってくれて、選手に報告。レンからも、改めて労いの言葉……。昨日の事のようです………。』
横須賀スタジアムでの試合前、レンから紹介され、ちょっとぶっきらぼうで照れたような小宮山さんの引退報告を直接聞きました。
ショックも大きかったけれど、さりげなく練習前のベンチでそんな時間を設けたレンの心意気が素敵だなぁと感じたもの。
私もついこの間のような気がしているこの日のこと。もう8年前になるんですよね…。
結局この年、2009年はファームの最終戦に敗れ、イースタンリーグ優勝はならず。
敗戦が決まったよみうりランドで、引退が決まっていた小宮山さん、退団が決まっていたレンを胴上げ。普段は出しゃばらないようにしているつもりの私、この二人のときばかりは胴上げの輪の中のど真ん中で、何度も二人の体を持ち上げました。
結果的にその数日後、私自身が球団から契約更新しない旨を伝えられることになるのですが、今でも小宮山さんとレンの二人をしっかりと胴上げできたこと、本当に良かったと思っています。
あの時、変に遠慮して円の外で見つめていたら、一生後悔していたでしょうから…。
何とかまたレンに会って話がしたいなぁ…。SNS全盛の時代でもなかなかコンタクトが取れないんです…
和して同ぜず
小宮山さんにねぎらいの言葉を送っていたこの時、自らの進退についても既にチームから通達されていたレン。普段と全く変わらない様子で淡々とグラウンドでベストを尽くしていました。
「やるべきことは変わらない。できることを全力でやるだけ。でも現場の我々ができることは限られている。チームを強くしていくためには、いうべきことをフロントにきちんと伝えないといけないんだ。…それが決して歓迎されることではないとしても。」
ポケットに手を突っ込んだまま、サングラスの奥でウインクをしてきたレン。
プロとして当然の姿勢ながら、その姿勢を貫いていく中で数え切れない衝突があったり何度も失職の憂き目にさらされたこともあったはず。周りを気遣い和を大切にしながらも、決して妥協はしない。
レンさんのような姿勢こそが真の「和して同ぜず」なんだ。今なお、なかなかその域に達することはできないけれど、覚悟や在り方は恥ずかしくないように。
そんな思いを強くすることができた私にとっては大きな大きな出会いとなりました。
ときに詰問のようにランニングプログラムについて意見をぶつけてきたり、ウエイトトレーニングの時間配分ややり方にも一過言あったレン。
それなりのプレッシャーを常にかけられつつ、時に守ってもらいながら彼の下で働けた2年間。
コンディショニング・トレーニングの専門家として大きく成長できたことを実感できた時期でした。
素晴らしいコーチやプロフェッショナルなスタッフ、選手が自分を大きく成長させてくれるもの。これからもそんな出会いがあるように、素直で明るく前を向いて仕事を行っていきます。
まとめ
・レン坂田さんというプロフェッショナルなコーチに出会えて大きく成長することができた
・人は人間性や生き方、哲学や在り方に大きく惹かれるもの
・レンさんに今また会いたいなぁ
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YUJI HIROTA
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