*2016年に旧サイトにアップしたものをリライトしたものです。

東日本大震災からまもなく7年。毎年この時期になると改めてあの東日本大震災に思いを馳せます。

長いスパンで取材を行ってきたドキュメンタリーや、様々な記事を目にするたび、復興に向かっていく現地の人々の強さや、今もなお震災からの影響に悩まされる人々の苦悩が、胸に響きます。

 

本質的な問題は日本人の「集団意識」なんかじゃない

そんな中、こういった心ない状況も実際にあるようです。

「放射能がうつる」「福島に帰れば」 原発避難者が耐えるいじめ(AFP=時事)

記事内容は事実であるものの少し論点がズレているのではないか、と日本人の子を持つ親として思います。

日本全体に蔓延する「集団意識」の弊害という点もあるかも知れませんが、それ以上に「地元意識」が影響しているのではないでしょうか。

 

子供は親の鏡

弘田の両親の故郷は高知県。田舎だからのどかで…という印象がありますが、強烈な地元意識があり部落問題なども抱えています。

留学を許してもらった際も、母が全く悪気なく有色人種の方への偏見を語り、本当に落胆した記憶があります。私の母の考え方がいい悪いという問題ではないでしょう。そのマインドが形成されたのは地元で生まれ育った中で「偏った考えや文化」が刷り込まれたから、だからだと思うのです。

今恵まれた環境で過ごしている埼玉の地元にしても、生まれてからずっとこの地に住み育っている人々の中には強烈な地元意識を持っている方もいます。

親の態度や発する言葉は、そのまま子供に影響を与えます。分別のつく中学生や高校生の年代になって、震災被害で引っ越してきた同世代のクラスメイトをからかったり、いじめたり、脅したり。人として普通のマインドに育ったとしたら、そんなことを子供たちがすることはないはずなんです。

子供は親の鏡。自分が100%できているか正直不安ですが、親はそのことをもう一度肝に銘じる必要があると思います。

 

偏見を受けるつらさは経験して初めてわかること

アメリカ留学をしていた2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが勃発。その日から不安な日々を過ごす中で黄色人種の外国人として、生まれて初めて露骨な差別を経験しました。

日本人である、というだけで受ける偏見や差別。頭でこういったことがあるというのは理解していたものの、実際に経験をしてみてその辛さや切なさを痛感しました。

深い考えなしで言ったり行ったりする差別がどれだけ人を傷つけるのか。今、そんなふるまいをしている人たちにその想像力を働かせてもらいたいと思います。

 

それぞれの場所で

高知で生まれ、東京で育ち、アメリカのオハイオ州で学び、埼玉に家を買い、今大阪で仕事をいただいています。

それぞれの場所に愛着はありますが、「地元意識」はどこにもありません。良くも悪くも「どこでも生きていける」と感じています。

震災から避難し今違う場所で生活をしている人々とは全く違うかも知れません。それでもそれぞれの場所で被災した皆さんが少しずつでも新たなコミュニティを形成し、笑顔で過ごせる時間が増えますように。そう願っています。

 

 

 

「生きる」モード

こちら葛飾区亀有公園前派出所。通称「こち亀」が40年にも及ぶ連載を終了しましたよね。連載スタートの1976年生まれであり、小学校から高校まで週刊少年ジャンプにお世話になった私にとって、大きな節目となる出来事でした。

そんなこち亀で、両津が語る台詞の中でとても印象深いものがあります。派出所の中で何気ない雑談として語られる両津や中川、麗子や部長のセリフには作者の秋本先生の思想が色濃く出ているんでしょうね。

「悩んだらまず『生きる』モードに切り替えてからスタートだ!それから『どう生きるか』を決めればいい」

このセリフに中学生だった当時、「ああ、なるほどな~。生きていけるのだろうか、っておこがましいよな。でも『どう生きるか』は自分で決められるんだ…」とすごく腑に落ちた記憶があります。

思春期に入り大人になっていく学生時代の過程の中。あってはいけないことかもしれませんが、自分の命の重さがわからずにフワフワと生きている時期が私にもありました。

今考えれば一種のモラトリアムだったのですが、漠然とした人生への不安が広がっている時期でもあったのでしょうね。

漫画の中に人生の哲学やヒントが転がっていることもある、というのを実感できた一行。この言葉を読んですごく気持ちが楽になり、且つ身の引き締まる思いがしたことを思い出します。「『死』というモードを選択する権利なんてない。おこがましいんだぞ」というメッセージが聞こえた気がしました。

弘田自身は、「夢の為に生きる」ことを中心に考えてここまで来ました。「大好きな人たちの大切になるために」、「悔いのない、自分の心に嘘がない人生のために」、といったキーワードが足されながら40年という年を重ねています。

まずは与えられた生を全うすること。どう生きてもいい。大切なのは生きていくぞ!という覚悟を決めること。そのうえで迷いながらでもいいから、「どう生きていくか」を意識しながら選択していける人生を送れるといいね。

自分の娘達にも、折に触れこんなメッセージを伝えていきたいなぁ、と日々考えています。そしてそのためにも自分自身が与えられたこの人生に感謝しつつ、全力で楽しみつつ生き切る。そんな背中をみせていきたいです。

 

 

 

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。









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