プロチームで働きたい全てのスポーツトレーナーへ。フリーランスが契約社会で生きる覚悟とは

一年毎に契約を更新するスタイルで21年目。仕事の契約更新のタイミングになるといつも思い出すことがあります。それが2009年に経験したプロチームからの契約解除です。

生々しい話になりますが、単年契約でスポーツの現場に携わるうえでは切っても切れない、いつかくるであろう契約解除のとき。

これからこの世界に飛び込みたい!と思っている人にとって、やっぱり大切だよなぁ、と思い切って書いた私の実体験。

これを基にフリーランスでスポーツ現場に関わっていきたいと思っている参考になる契約のリアルを考えていきます。

プロスポーツ現場でスタッフとして働くチャンスを得るには

華やかな場所だからこそ競争は激しい

大前提としてお話しておくべきコト。それがスポーツ現場でスタッフとして働きたい人は、山ほどいるということです。

アスレティックトレーナーや私のようなストレングス&コンディショニング専門家、通訳やアナリスト。

専門分野を持っている人の中で「一度はスポーツ現場の最前線を経験してみたい!」という人は、やはり多いんです。

なりたい人に対して、求められる席は少ない。需要に対して、常に供給が過多な状況です。ライバルは多く、自分の周りのライバルたちと比べたら「ずば抜けた能力と情熱」を持っていることがまず必須条件となります。

 

募集やチャンスは基本クローズド案件

よくストレートな質問で、
「どうやったらプロ野球のトレーニングコーチになれますか?」、
「社会人チームのトレーナーを目指しているのですが、どんな風にチャンスを得ればいいでしょうか?」
といったことを聞かれます。

一般的なお仕事とは違い、スポーツチームや大学チームなどの案件は、基本クローズド案件。

つまり公募をされていることがなく、コネクションであったり人からの紹介という形がほとんどなのです。

ごくまれに公募の形をとっているものもありますが、アタックネット(トレーナー向けの就職・セミナー情報サイト)を毎日見ていても、スポーツチーム案件は年に数件といったところです。

 

 

今いる場所では文句なしのNo.1になる

…そんなのはわかっている人がほとんどですよね。聞きたいのは「それではどうすべきか?」のはず。
面白くないですが、王道の少ないチャンスを得らえる方法を考えてみました。

 

学生ならば「〇〇(あなたの名前)の年ね」といわれるクラスに

まずは勉強中の学生時代から、とびぬけた実力と情熱を見せつけるのが前提条件になります。

何度かブログ内でも同じ表現をしていますが、
「え、お前うちの大学の何期生?…ああ、そうなんだ、弘田の世代ね」
みたいな会話ってよくありますよね。

OBや先生と話した際、すぐに「その年代の顔」として名前が出てくるような絶対的な存在。
厳しいようですが、これぐらいのインパクトは絶対に必要になると思います。

 

一番強いコネクションの研修や紹介を得る

最も見込みのある学生として認められることで、その学校や施設、人物にとって「最も強いコネクションのあるチームや人物を紹介してもらえる」ことになります。

学校側が先方にお金を払って、「お客様」として7~8名ずつ交代で行かせてもらうような研修。無駄とはいいませんが、この経験を通して、あなた本人に仕事のオファーがくる可能性は限りなく0%です。

お客様なのですから、それなりに丁重に扱われ、誰でもできる雑用を経験して終了、となることがほとんどなのは、少し考えれば理解できるのではないでしょうか。

ちょっと厳しすぎる表現かも知れませんが、研修に関しては日本の現状で思うところがあるので、良かったら以前投稿した本気の人にこそインターンのチャンスは与えられるべきも読んでみてください。

…ということで、自分のいる環境下で最も強いコネクションのところを紹介してもらうこと。スポーツ現場での仕事を希望しているトレーナーたちは、まずここを目指すべきでしょう。

紹介する側も「今の時期のエースを紹介している」という気持ちがありますから、先方にも強く推薦します。初めから、紹介する側、される側の期待値も熱量も違うのです。

この位置を獲得しようと思って動く学生は最初から違います。
気づかないだけで、あなたの周りにも、ここまで考えたうえで行動を起こしている人は絶対にいます。

できるだけ早く目的を明確化し、そのためにどういった結果を出さなくてはいけないかを考えましょう。

紹介された場所で評価されるのが最大のチャンス

苦労してつかんだ一番魅力的な現場や力のある人とのコネクション。ここで確実に、期待以上の働きをしなくてはいけません。

経験も知識もまだまだ未熟のはずなので、ずば抜けた実力を発揮する、といったことは不可能です。

私がいう「期待以上の働き」とはもっと泥臭くて、関わった人たちが「こいつにチャンスをあげたいなぁ」と思う下記のようなものです。

・相手が求めていることを指示が出る前に行う

・面倒で皆が敬遠するような仕事を率先して行う

・与えられた課題を、誰よりも早く高い精度で提出する

こういったことの積み重ねで、あなたへの信頼度は上がり評価されるのは間違いないですよね。

たとえ自分が行かせてもらったスポーツ現場や研修先で、人員の空きがなくその場所でのチャンスを得られなかったとしても、高確率で「あなたが成長できる場所へのオファー」をくれるはずです。

チャンスをつかんだ後も見据えたプランを

ここまでをクリアするのは簡単なことではありません。

2-6-2の法則はどこでも適応できる黄金律のような気がしますが、少なくとも同じ夢を持っている中で、上位20パーセントには入っておく必要があります。

熱い想いと努力、周りの人の力を借りられる人間力、そして運。総動員してるような人が、華やかなスポーツの世界での仕事を獲得していく。

…この辺りは意外とフェアな世界。きちんと重ねてきた人に機会は訪れるのです。

しかし。

当たり前ですが、ここがゴールじゃないわけですよね。

プロ野球選手を目指して努力を重ねた末に、憧れのプロ野球チーム入団!ここをゴールにしていた選手が、プロ選手になった瞬間に満足してしまう。

…よくある話ですが、チームスタッフが同じような状態になっては救いがありません。

だから、長い視点での自分のキャリアプランが大事なんです。

スポーツ現場でのキャリアをどう生かすかも考えておこう

学生時代から、スポーツ現場に携わる自分より先のイメージを明確にできる人はそういないでしょう。

憧れだった世界に入ってみて、仕事にしてみて、「ああ、こういう世界だったのか」といったギャップを感じるのは珍しいことではありません。

自分の理想とする現場に立つことに懸命になっている時期に、その先なんてなかなか考えられないですよね。

だから、ひとたびスポーツ現場で働くことが実現したら、ただただ喜ぶ時間は一瞬にして、すぐに頭を働かせてほしいのです。

「このチャンスをどうやって今後の自分のキャリアに生かしていこうか」、そして「そのためには更にどんなことを為す必要があるのか」。

ここまで読んでくださって、「自分がやってこれたからって、簡単に、偉そうに言いやがって…」と思う人もいるかも知れません。

なぜ、強い口調でこんな思いを語るのかは、私が陥った悪循環や味わった恐怖心からくるもの。

今からスポーツ現場に携わりたいと思って希望にあふれた人たちには、私のような経験は絶対に味わって欲しくないからなんです。

スポーツ現場最前線から離れた後の難しさ

悔しさと大きな恐怖と

2009年の千葉ロッテマリーンズ退団(平たくいえばクビ)。契約解除通告を受けたその翌日に、私は一度旧サイトを閉じています。

今振り返ると、千葉ロッテの契約終了でなぜブログを閉めるのか、自分自身、今一つわかりません(笑)。

やはりそれなりに動揺していたうえに、どこかで〝千葉ロッテのコンディショニング・コーディネーター弘田”という意識が強くあったのでしょう。

自分が7年間、拙いながらも懸命にシステムとして構築しようとしていたデータややり方。

それを当時の副社長から「要らないし、使わない」と言われたことが、クビそのものよりも悔しくてたまらなかった事も大きかったです。

自分の感情や気持ちが整理できていない中、批判めいたことや愚痴がブログの端々からにじみ出る事も嫌だったのだと思います。

2009年10月以降、5カ月ほどは再就職活動を手探り状態でやっている時期。この時期を振り返ると、ただ一言、「恐怖」でした。

精神的な部分では、契約解除という可能性を毎年心づもりはしているつもりでした。

しかし、いざクビとなった後、どう動いていいのか、誰に相談したらいいのか、何より自分という商品の強みや売りがどこにあるのか。

具体的な準備やアクションをしていなかった事を痛感しました。

学生から独身の時期にかけての、「最悪食べていくのはどうにかなる!」という若さゆえの勢いはもう通用せず、妻と娘二人をどう養っていくか。

年内は給料が出るものの、次の仕事のあてがなく、ただ通帳からお金がなくなっていく恐怖…

もともと小心者の自分。眠れない日々は2か月以上続きました。

スポーツ現場以外への再就職のほうが難しい

チャンスを得てトップレベルのスポーツ現場で働いてきたチームスタッフ。

その中でもトレーニング部門を担当するS&Cの専門家は、特に再就職が難しいです。

独特の現象かも知れませんが、S&Cに関してはある程度業界で実績を認めてもらうと、以前よりも雇用される幅は極端に狭まります。

一番多いのは、同じスポーツの同じ団体内での移動。形式上は「移籍」という事になります。

以前所属した近鉄ライナーズから、2018年度より清水建設ブルーシャークスにチャンスをいただいた私のようなパターンですね。

椅子取りゲームとして「横滑りかよ~」と感じる人もいるかもしれませんが、ある意味、これは仕方がないのです(言い訳がましい部分もありますが)。

これで決まらなかった場合、大抵の現場の専門家には、いばらの道が待ち構えているのですから。

30歳前後の一番転職が多い年齢であっても、スポーツ現場で働いてからのスポーツジムやパーソナルトレーナーの人材派遣系などの仕事への再就職は困難。

普通に就職などを希望しても、そもそも面接をしてもらえない。

私の場合は、条件面など確認し納得してエントリーしているにも関わらず、「そちらの要望に見合うような業務や報酬は難しい」と、断りの電話をいただくケースが何度もありました。

当時の私は、同じプロ野球の中のコネクションを必死に頼り、違うチームで何とか残りたい!という気持ちは全くありませんでした。

軽い”燃え尽き症候群”のような状態でもあり、そういった選択肢はなかったんです。今考えれば余計に再就職を難しくしていた気がします。

一も二もなく飛びついた再就職のオファー

2010年に入り固定収入がなくなってからは、小野晋吾さんなどの当時のロッテの選手が合同自主トレ帯同の依頼をくれたり、セミナーを数回させていただいたり。

定期的な仕事を探す中、プロ野球球団で長年働いていたトレーニングコーチの先輩から、オープンする施設に社員として誘っていただいた時は、一も二もなく飛びつきました。

それが2010年の2月末。ただただ安堵感のみだったのを覚えています。

経営母体の不安定さを知ったのは、入社後。結果的に4カ月で給料を定額受け取れなくなり、8月末に自主退職しました。

当時のブログからはだいぶ病んでいる心境がうかがい知れます。再就職が決まってから僅か2か月で、また眠れない日々に悩まされていたんです。

この先輩ご自身もある種、被害者の一人であり現在恨む気持ちは全くありません。

ただ当時、新施設に力を貸していただいたり、来館や紹介などの協力をしていただいた方たちからは、信用を失ったのは確か。

この時期に遂に「トレーナー業界で食べていくのを諦めよう」と考えました。34歳の夏です。

自分が考えていた仕事をする上での能力、というのが非常に狭い範囲のものである事実。

人間関係や営業、経営に対する自分の至らなさと、その重圧。

完全に自信喪失して、自分を見失ってしまったのでしょう。

この世界に残ることができた一本の電話

違う業種への就職活動を始めたタイミングで、立花龍司さんの推薦で株式会社スポーツカンパニー岡社長から、一本の電話が入ります。

新しくオープンさせるジムと整骨院の併設施設のディレクターとしての契約、そしてクライアントとしてマネジメント契約のオファーをいただけたのです。

このオファーがこのタイミングでなかったら今どういう働き方をしていたのか、正直想像もつきません…

最初は社員契約のお誘いでした。正直、小躍りして受諾したかったです。

しかしその瞬間、この時期に相談に乗っていただいていた、小宮山悟さんの顔と言葉が浮かびました。

「厳しい事を言うようだけど、要は再就職の話を聞いて、深く考えずに夢見て飛びついちゃったわけでしょ。委ねちゃったわけでしょ?」

…ど真ん中、ストレート。全く言葉出ませんでした。

図星。本当にその通りだったんです。

再就職で社員契約の書類を交わした際の安堵感。
僅か4カ月余りの業務で、すぐに『雇われて給料が出る』事への慣れが出た自分への危機感。

小宮山さんの言葉と同時に、この二つの感情もセットになって、思い出されました。

今振り返れば、ただの痩せ我慢。
それでも、社員契約のお誘いを断り単年更新の業務委託契約を希望し受諾していただきました。

『もう一度この業界で働いていくチャンスをもらった。もう二度と中途半端な気持ちでは絶対に戦わない。』

そう腹を括りたかったんです。

ちなみに、このタイミングで「働きながら鍼灸専門学校に行こう!」と考え、その了承を得る交渉を会社とさせていただきました。

妻には愛想を尽かされないのが不思議なくらいで、本当に頭が上がらないのですが…。

こうしてもう一度、トレーナー業界で働ける機会をいただき、また走り出すことが出来ました。

 働くことへのリテラシーを高めておくこと

ブログを見てくれている方の中には、希望に燃えて「スポーツ現場で働くメディカルトレーナー・アスレティックトレーナー・S&Cコーチ」を目指す方もたくさんいます。

今回のブログは、ここ数年で私が自分のミッションの一つだと思っている「現場で活躍し、ずっと食べていける次世代のトレーナー」を輩出していく手助けをしたい、という思い。

そんな気持ちから思い切って書きました。

この経験があったからこそ、今の私の働き方や哲学といったものが出来てきたわけです。

常にリスクを意識しつつ、いろいろなオファーをいただけるように。
自らを「良い商品・サービス」として食べていけるように、日々考えて過ごして
います。

少し覚悟がリアルになって、その上で私が経験させてもらっている、スポーツ現場でしか味わえない嬉しい瞬間を味わいたい。

そんな力が湧いてくる人が一人でも多く出てくれれば、嬉しいです。

夢の部分だけではなく、実際に仕事として食べていくためのリアル。この辺りをご紹介するオンラインセミナーも行います。興味のある方はぜひ一度ご参加ください。

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。
YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。

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YUJI HIROTA