3月も半ばを過ぎ、今年度の終わりが近づいてきました。私の仕事の契約更新のタイミングは年末なので、ちょっと前でした。いつも契約更新の時期になると思い出すことが、2009年の千葉ロッテ退団(平たくいえばクビ)のことです。

生々しい話になりますが、単年契約でスポーツの現場に携わるうえでは切っても切れない、いつかくるであろう契約解除のとき。

これからこの世界に飛び込みたい!と思っている人にとって、やっぱり大切だよなぁ、と思い切って書いた内容を再編集してお伝えしますね。

 

スポーツ現場最前線から離れた後の難しさ

悔しさと大きな恐怖と

契約解除通告を受けたその翌日に、私は一度旧サイトを閉じています。今振り返ると、千葉ロッテの契約終了でなぜブログを閉めるのか、自分自身、今一つわかりません(笑)。やはりそれなりに動揺していたうえに、どこかで〝千葉ロッテのコンディショニング・コーディネーター弘田”という意識が強くあったのでしょう。

自分が7年間、拙いながらも懸命にシステムとして構築しようとしていたデータややり方を、当時の副社長から「要らないし、使わない」と言われたことが、クビそのものよりも悔しくてたまらなかった事も大きかったです。

自分の感情や気持ちが整理できていない中、批判めいたことや愚痴がブログの端々からにじみ出る事も嫌だったのだと思います。

2009年10月以降、5カ月ほどは再就職活動を手探り状態でやっている時期。この時期を振り返ると、ただ一言、「恐怖」でした。

精神的な部分では、契約解除という可能性を毎年心づもりはしているつもりでした。しかし、いざクビとなった後、どう動いていいのか、誰に相談したらいいのか、何より自分という商品の強みや売りがどこにあるのか。具体的な準備やアクションをしていなかった事を痛感しました。

学生から独身の時期にかけての、「最悪食べていくのはどうにかなる!」という若さゆえの勢いはもう通用せず、妻と娘二人をどう養っていくか。年内は給料が出るものの、次の仕事のあてがなく、ただ通帳からお金がなくなっていく恐怖… もともと小心者の自分。眠れない日々は2か月以上続きました。

 

スポーツ現場以外への再就職のほうがむしろ難しい

チャンスを得てトップレベルのスポーツ現場で働いてきた、ストレングス&コンディショニングを専門としたいわゆるS&C専門家。実は一番難しいのは再就職です。

独特の現象かも知れませんが、S&Cに関してはある程度業界で実績を認めてもらうと、以前よりも雇用される幅は極端に狭まります。

一番多いのは、同じスポーツの同じ団体内での移動。形式上は「移籍」という事になります。現在の私であれば、ラグビーの他のチームにS&Cコーチとして契約をしてもらう、といった形です。椅子取りゲームとして「横滑りかよ~」と感じる人もいるかもしれませんが、ある意味、これは仕方がないのです。これで決まらなかった場合、大抵の現場の専門家には、いばらの道が待ち構えているのですから。

30歳前後の一番転職が多い年齢であっても、スポーツ現場で働いてからのスポーツジムやパーソナルトレーナーの人材派遣系などの仕事への再就職は困難。普通に就職などを希望しても、そもそも面接をしてもらえない。

条件面など確認し納得してエントリーしているにも関わらず、「そちらの要望に見合うような業務や報酬は難しい」と、断りの電話をいただく事が私のケースでは何度もありました。

当時の私は、同じプロ野球の中のコネクションを必死に頼り、違うチームで何とか残りたい!という気持ちは全くありませんでした。軽い”燃え尽き症候群”のような状態でもあり、そういった選択肢はなかったんです。今考えれば余計に再就職を難しくしていた気がしますよね。

 

一も二もなく飛びついた再就職のオファー

2010年に入り固定収入がなくなってからは、小野晋吾さんなどの当時のロッテの選手が合同自主トレ帯同の依頼をくれたり、セミナーを何度かさせていただいたり。

定期的な仕事を探す中、プロ野球球団で長年働いていたトレーニングコーチの先輩から、オープンする施設に社員として誘っていただいた時は、一も二もなく飛びつきました。それが2010年の2月末。ただただ安堵感のみだったのを覚えています。

経営母体の不安定さを知ったのは、入社後。結果的に4カ月で給料を定額受け取れなくなり、8月末に自主退職しました。

当時のブログからはだいぶ病んでいる心境がうかがい知れます。再就職が決まってから僅か2か月で、また眠れない日々に悩まされていたわけですね。

この先輩ご自身もある種、被害者の一人であり現在恨む気持ちは全くありません。ただ当時、新施設に力を貸していただいたり、来館や紹介などの協力をしていただいた方たちからは、やはり信用を失った部分もありました。

この時期に遂に「トレーナー業界で食べていくのを諦めよう」と考えました。34歳の夏です。自分が考えていた仕事をする上での能力、というのが非常に狭い範囲のものである事実。人間関係や営業、経営などに対する自分の至らなさと、その重圧。自信喪失して自分を見失ってしまったのでしょう。

 

この世界に残ることができた一本の電話

違う業種への就職活動を始めたタイミングで、立花龍司さんの推薦で株式会社スポーツカンパニー岡社長から、一本の電話が入ります。新しくオープンさせるジムと整骨院の併設施設のディレクターとしての契約、そしてクライアントとしてマネジメント契約のオファーをいただけたのです。

このオファーがこのタイミングでなかったら今どういう働き方をしていたのか、正直想像もつきません…

最初は社員契約のお誘いでした。正直、小躍りして受諾したかったです。その瞬間、この時期に相談に乗っていただいていた、小宮山悟さんの顔と言葉が浮かびました。

「厳しい事を言うようだけど、要は再就職の話を聞いて、深く考えずに夢見て飛びついちゃったわけでしょ。委ねちゃったわけでしょ?」

ど真ん中、図星。

その通りだったんです。

再就職で社員契約の書類を交わした際の安堵感。僅か4カ月余りの業務で、すぐに『雇われて給料が出る』事への慣れが出た自分への恐怖感。小宮山さんの言葉と同時に、この二つの感情もセットになって、思い出されました。

今振り返れば、ただの痩せ我慢。それでも、社員契約のお誘いを断り単年更新の業務委託契約を希望し受諾していただきました。

『もう一度この業界で働いていくチャンスをいただいた。もう二度と中途半端な気持ちでは絶対に戦わない。』
そう腹を括りたかったんですよね。

ちなみに、このタイミングで「働きながら鍼灸専門学校に行こう!」と考え、その了承を得る交渉を会社とさせていただきました。

妻には愛想を尽かされないのが不思議なくらいで、本当に頭が上がらないのですが…。

こうしてもう一度、トレーナー業界で働ける機会をいただき、また走り出すことが出来ました。

 

【こちらもあわせてご覧ください】職域から考えるトレーナー業界で生き残るために必要なストーリー

 まとめ

ブログを見てくれている方の中には、希望に燃えて「スポーツ現場で働くメディカルトレーナー・アスレティックトレーナー・S&Cコーチ」を目指す方もたくさんいるでしょう。

今回のブログは、ここ数年で私が自分のミッションの一つだと思っている「現場で活躍し、ずっと食べていける次世代のトレーナー」を輩出していく手助けをしたい、という思い。

そんな気持ちから思い切って書きました。

この経験があったからこそ、今の私の働き方や哲学といったものが出来てきました。常にリスクを意識しつつ、いろいろなオファーをいただけるよう、自らを「良い商品・サービス」として食べていけるように、日々考えて過ごしています。

少し覚悟がリアルになって、その上で弘田が経験させてもらっている、スポーツ現場でしか味わえない嬉しい瞬間を味わいたい。そんな力が湧いてくる人が一人でも多く出てくれれば、嬉しいなぁ。

夢の部分ではなく、実際に仕事として食べていくためのリアル。この辺りをご紹介するセミナーも東京都内で行っていきます。興味のある方はぜひ一度ご参加ください。

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。









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