2021年8月8日。2週間にわたる東京オリンピックが閉幕しました。
この間のデルタ株による爆発的な新型コロナウイルスの広がり、直前までのバタバタ劇。
…一筋縄ではいかない状況でモヤモヤした気持ちを抱える中でのオリンピックになったのは本当に残念ですし、これが最初で最後なんじゃないかなと思ったりもしています。
今回のオリンピックを考える上で、思うところは皆さん色々あったでしょうし、きっと正解はないんですよね。
スポーツと政治を分けて考える
私自身が気をつけているのは、スポーツと政治を切り離して考える必要が絶対にあるなということです。
IOCや日本政府の強引な進め方や不合理な判断というのは、我々一人一人が忘れることなく、小さな声を上げていくことをするべきだと思っています。
これを一過性のものにしないで、やっぱりここはちょっと問題だったんだよなということを忘れずに、国民一人一人が小さなアクションを起こしていくということは、選挙にしても世論にしても大事なことですよね。
ただ、「スポーツの持つ価値」ということを、こんな状況だからこそ改めて感じることができたオリンピックでもあったのが救いでした。
マラソンで垣間見えたストーリー
スケートボードでは中学生や高校生の若い世代が、フラットに国の隔たりを感じさせずに仲間として楽しみながら技を競い合う、そしてお互いを認め合う姿が美しかったです。
男子マラソンで銀メダルを獲得したオランダのアブディ・ナゲーエ選手と、同じく銅メダルを獲得したベルギーのバシル・アブディ選手。この2人の選手、最後のラストスパートのところで、ナゲーエ選手が一生懸命アブディ選手を鼓舞しているのが印象的でした。
理由が全くわからなかったのですが、理由が記事になっていました。
共にアフリカ東部のソマリ出身の32歳、同い年なんですね。不安定な情勢が続く祖国を子供どものころに離れてヨーロッパに移っているというバックグラウンドも全く一緒だったそう。オリンピックに向けて一緒に練習を重ねてきたバディ(仲間)だったわけです。
ラスト300mで、ナゲーエ選手が必死に後方のアブディ選手に手招きしながらついて来い、ついて来いと鼓舞している姿は、すごく感動的でした。
スポーツにしかできないことがある
数え切れない感動の場面。
それは、選手1人1人が競技に真摯に向き合い、心からその競技を楽しみ、愛し、レベルの拮抗している仲間たちを尊敬し合う、その中で生まれていますよね。
これだけひた向きに、まっすぐに努力を重ねる姿を見せつけられることは、大人になるとスポーツ以外にはそうそうない。だからこそ、これだけ人々に蔓延し根付いている嫉妬や反感を生む余地を全く与えずに、ただ感動を与えることができるのだと思っています。
必死の人たちを目の前にすると、一般の我々は何のケチを付ける余地もないわけですよね。そして、反芻することが多くなるのではないでしょうか。
そう思った人の数は数えきれないでしょう。
やはり感じることは、「スポーツにしかできないことってあるんだよなぁ」ということです。エンターテイメントですし、エッセンシャルワーカーの方たちのように生活に必需品かと言われたら、それはノーです。
しかし芸術などと全く同じで、スポーツにも文化があります。それは人が人らしく生きていくためには必須のものだし、絶対になくてはならないものなんだなということを改めて痛感することのできたオリンピックでした。
まとめ
曲がりなりにも20年間、スポーツ現場に関わってきました。
それを生業としてきた自分ですが、改めて幸せに思いましたし、なんだか誇らしく思えた期間でもありました。
運動やスポーツを通して人との交わりを生む豊かな社会作り。そういうものをやっぱり今後も自分のライフワークとしてやっていきたいし、そうやって貢献していきたいなということを感じたオリンピックとなり、とても感謝しています。
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YUJI HIROTA
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