キャリアデザイン

父親になれた日と渡辺俊介のウイニングボール。仕事と家族について今思うこと

9月16日は我が家の長女の誕生日。

自分が父親になった日からもう18年以上が経過したと思うと、不思議な気持ちになります。

家族を持ち、子どもを持つようになってから、自分の中の優先順位は明らかに変わってきました。

思い出を振り返りつつ、自分の今いる地点を考えることで、読んでくださる方たちと共有できる部分があれば、と思っています。

父親になった日

東京ドームでのファイターズ戦

当時27歳だった私は、コンディショニングコーディネーターとして千葉ロッテマリーンズに入団して1年目のシーズンでした。

あの頃はまだファイターズが北海道移転していない時期。日本ハムファイターズと東京ドームでのナイターの日でした。

入団3年目、7月以降台頭を表した渡辺俊介投手が6勝を挙げてから挑む試合。

ビジターの為14時過ぎに球場入りすればよかった当日。

妻の入院先の病院に13時近くギリギリまで付き添いでいたものの、産気づく様子はないままタイムアップ。

後ろ髪を引かれる思いで、球場入りしたことを覚えています。

試合開始直前に誕生した長女

試合開始前、センターバックスクリーンのやや右寄り手前に大きなネットを2つ立てる。

その後ろで肩のエクササイズやストレッチ、体幹トレーニングなどを行うのが投手陣の試合前のコンディショニングのパターン。

野手は打撃練習中なので危ないですからね。

そのゾーンで同い年のボブこと川井貴志投手に、メディシンボールを投げていた最中に鳴った携帯電話。

電話の主は義理の妹さん。

「生まれそう?」と聞いたら「今生まれました!」と言われビックリ。出産の現場に立ち会うことなく、報告を受けたのでした。

27再当時の写真。まだ覚悟の決まっていない幼い顔しています笑

外国人選手の嬉しくも強烈な後押し

まだまだ一年目の若造だった自分。与えられている仕事は雑務が多いものの、当時は通訳補助として試合中にはブルペン入り。ブライアンシコースキー投手の担当もしていました。

すぐに飛んで帰りたいところでしたが、試合前に帰るのはとてもじゃないものの出来ず…

一軍マネージャーに出産報告をし、試合終了後に出来るだけ早く帰らせてもらいたい、という旨を伝えました。

2016年4月に亡くなってしまった当時の監督、山本巧児さんにも報告したところ、
「おめでとう!試合後でいいのか?それは助かるけど…」というお祝いの言葉をいただきました。

しっかり仕事をしてから帰るぞ!と気合を入れていると、当時の外国人選手たちが代わる代わるお祝いの言葉と共に、握手をしに来てくれました。

ニコニコ顔のリックショート選手やブライアンシコースキー投手に対して、ホセフェルナンデス選手は真顔でした。

そして、

「お前はここで何をやってるんだ?今すぐに帰って子供に会ってやれよ!仕事の代わりはいくらでもいるけど、父親はお前だけなんだぞ!スカイ(シコースキーの愛称)、お前も今日は通訳必要ないだろ?コウジに言えば帰らせてもらえるのか?俺が行ってきてやる!!」

と監督室前まで向かうので、本当に必死に止めたことを、昨日の事のように覚えています。皆後日、可愛らしい出産祝いをくれたのですが、ホセはここでも真顔で、

「お前じゃなくお前の家に一番必要なものをプレゼントする!お前じゃラチがあかないから、今奥さんに電話をして、話させろ!奥さんも英語、話せるんだろう?」
と、直接妻と話をしてくれました。

翌日、でっかいベイビーチェアをコストコで購入し、持ってきてくれて、めちゃくちゃ熱い優しさに感動してしまいました…

その後、西武や楽天でも活躍したホセ。今ではフェイスブック友達で近況報告をしたりしています。

渡辺俊介投手の完投勝利試合に

試合が始まり5回ぐらいまで、全く危なげない投球を続けていた俊介。ブルペン入りしている投手陣も、比較的リラックスムード。

ボブが前日9月15日が大先輩の小宮山悟さんの誕生日であること、そして9月16日はボブ本人の27回目の誕生日でもあることを聞かされました。

「せっかくならこみさんと一緒のほうがよかったなぁ。何か悪いなぁ…」
という何ともボブらしい、のんびりとしたコメントをもらったのを覚えています。

試合は結局、渡辺俊介投手が9回1失点で完投勝利を挙げました。120球以上投げての完投だった、と記憶しています。

試合後クールダウンの準備などをしつつ「おめでとう!」と声をかけたら、即座に「いや、今日のおめでとうは雄士でしょ。いいから早く帰って子供と会ってあげなよ!」と返してくれました。

俊介は、当時から登板直後でもこんな感じでごく普通にいい奴なんですよね。

おめでとう、と声をかけてくださるスタッフや選手たちにお礼をいいながら、慌てて着替え。

帰宅の途に向かうファンに紛れて、水道橋駅から電車に乗り込んで眺めた外の景色。妙に鮮明に覚えています。

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長女が生まれてから数日経過した日のこと。

マリンスタジアムでの試合前練習後、俊介が「はい、これどうぞ。」とポーンとボールを渡してくれました。

7勝目を挙げたウイニングボール。

2003.9.16と書かれた横には、命名したばかりの長女の名前が記されていました。

長女が成人して家を離れる日がきたら、このボールを持たせようと思っています。その日まで、いい背中を見せつつ笑いの絶えない家族でいれればいいですよね。

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この両手で長女を抱っこした初めての日が、ついこの間のように感じている私。

しかし当時の赤ん坊は、大学受験を終えた大学1年生になりました。

健康に健全に育ってくれた娘を見て、時の流れの早さを感じつつ、本当にありがたいことだと感じています。

毎年毎年、翌年はどこにいるのかわからないような水商売を選んだ父親の下に生まれてきた二人の子どもたち。上等に育ってくれています。

ほぼ一人親状態で娘二人を育ててきた妻には、本当に頭が上がりません。

今までの20年以上、素晴らしい出会いと運に恵まれて、外見的には華やかなキャリアを積ませてもらってきました。

だからこそキャリア至上主義にならないよう、「ただの弘田雄士」でいることが不安にならないように。

これからも家族を守り家族に守られながら、働いていきたい。そう思っています。

奇しくも2022年5月の記事に、渡辺俊介投手の長男、向輝くんが掲載。同い年の我々、上の子も、下の子も同い年。…っていうか、向輝くん、優秀なのは知っていたけど東大合格していました。

我が家の長女も希望していた国立大学に入学し、「鳶(とんび)が鷹を産んだ」かも!と、ずっと育ててくれていた妻を差し置いて図々しく考えていた私。

…さすが、俊介のお家も奥さんがメインとなり、しっかりと教育にも力を入れていたんですよね。立派です。

娘との対面

入院先の病院の前に着くと、義妹と義弟、そして私の母の3人という不思議な組み合わせでアルコールが入り、楽しく出来上がっておりました(笑)。

面会時間外ではあったものの、初めて娘と対面させてもらったときの感動と、背筋がピンと伸びるような緊張感は忘れません。

長女の誕生で味わった初めての感情

生まれたこの子を初めて抱っこしたのは翌日9月17日の朝。

妻から手渡された娘は、壊れそうなぐらい小さくて、首もぐにゃぐにゃ。

我が子を必死に支えながら、「ああ、この子が大人になるまで育てていくために、俺が稼いでいかなくちゃいけないんだ…」

実感としてそうリアルに感じました。

「身が引き締まる」とか「責任を感じる」といったレベルとは比べ物にならない、生まれて初めて味わう「恐怖」に近い感情。

天使のように軽くて、かよわい我が子を抱いた感動と同時に、その重みに不安を抱かずにはいられませんでした。

子どもを持った後、徐々に起こった心境の変化

未経験ゆえの「開き直り」と決別して

曲がりなりにも25まで生きてきて、留学するチャンスをもらい、自分の夢に向かって突き進んでいた時期。

自分なりにリスクはとっているつもりでしたが、その覚悟は「何とかなるでしょ!」という一種の開き直りにも似たものでした。

それが妻や子供という守るべきものができたことを心から実感した瞬間、崩壊してしまったような気がします。

結婚をして二人の子供に恵まれて2022年で19年目になりました。

今仕事に向き合っている自分は、ある種「向こう見ず」だったころとは違い、常に正しい危機意識を備えられるようになりました。

守り守られている、かけがえのないもの

家族を守っていくぞ!という気概はありますが、実は同時に家族に守られているような感覚もあります。

独身時代は、とにかく自分の生きがいを仕事にすることしか考えていませんでした。その目的に向かって、脇目も振らず、ひたすら邁進していた時期。

そのプロセスでは知識も経験も全然なく、いつもテンパっていたような気がします。

しかし実際に結婚をし家族を持つと、情熱は変わらないものの「何のために働いているのか」という思いは微妙に変わってきました。

自分がしたいこと、チャンスと思うことを優先するのではなく、そのタイミングによっては家族の時期を優先したい。

自然とそんなふうに感じるようになってきたのです。

それだけ自分が持つことのできた家族の存在が、何よりも大きいということなのでしょう。

「好きな仕事」のために家族をおざなりにしない

今の時代、どの仕事にもいえることですが、トレーナー業に関しても仕事として確立されたものではありません。

家族を養っていくには、厳しい条件を抱えている人が多いのが現状でしょう。

結果的に家族を持つという選択をせずにトレーナー業に邁進する人。

全く反対に結婚や子供が大きくなったことを機に、転職する人。

どちらのケースの同業者もたくさん見てきました。

何かを得るために何かを捨てる。一見すると筋が通っているのかもしれませんが、欲張りな自分はできることなら、一つも捨てたくはないです。

好きな仕事をしていくことに対して、機会がある家族を持つことや子育てをすること、を「捨てる」選択肢をする。

これは勿体ないし、究極的には本質ではないのではないでしょうか。

少なくとも今の私にとっては家族ほど大切なものなんてない、と迷わずに言えます。

好きな仕事をしつつ、家族を最優先するという方向にどんどんシフトしていきたいと思っています。

大事な仕事、生きがいにしていこうと信じられる仕事。

だからこそ家族の一大事には迷わずに捨てられるような潔さを。矛盾しているかもしれませんが、そんな覚悟を常に持っていたいです。

トレーナーにも絶対に必要だと思う、仕事への考え方や戦略。そんなものを伝えていくこともこれからの私にとって、大切なことだと思っています。

2022年も定期的に「10年後も生き残るトレーナーになるために必要なビジネス感覚」というオンラインセミナーを行っていくので、興味のある専門家の方はぜひチェックしてみて下さい。

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。
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