父親になれた日と渡辺俊介のウイニングボール。仕事と家族について今思うこと




9月16日は我が家の長女の誕生日。

自分が父親になった日からもう15
年以上が経過したと思うと、不思
議な気持ちになります。

家族を持ち、子どもを持つように
なってから、自分の中の優先順位
は明らかに変わってきました。

思い出を振り返りつつ、自分の
今いる地点を考えることで、読ん
でくださる方たちと共有できる
部分があれば、と思っています。

 

父親になった日

東京ドームでのファイターズ戦

当時27歳だった私は、千葉ロッテ
マリーンズに入団して1年目のシ
ーズンでした。

あの頃はまだファイターズが北海
道移転していない時期。

日本ハムファイターズと東京ドーム
でのナイターの日でした。

入団3年目、7月以降台頭を表した
渡辺俊介投手が6勝を挙げてから挑
む試合。

ビジターの為14時過ぎに球場入り
すればよかった当日。

妻の入院先の病院に13時近くギリ
ギリまで付き添いでいたものの、
産気づく様子はないままタイムア
ップ。

後ろ髪を引かれる思いで、球場入
りしたことを覚えています。

 

試合開始直前に誕生した長女

試合開始前、センターバックスク
リーンのやや右寄り手前に大きな
ネットを2つ立てる。

その後ろで肩のエクササイズや
ストレッチ、体幹トレーニングな
どを行うのが投手陣の試合前のコ
ンディショニングのパターン。

野手は打撃練習中なので危ないで
すからね。

そのゾーンで同い年のボブこと川
井貴志投手に、メディシンボール
を投げていた最中に鳴った携帯電話。

電話の主は義理の妹さん。

「生まれそう?」と聞いたら
「今生まれました!」と言われ
ビックリ。

出産の現場に立ち会うことなく、
報告を受けたのでした。

27再当時の写真。まだ覚悟の決まっていない幼い顔しています笑

 

外国人選手の嬉しくも強烈な後押し

まだまだ一年目の若造だった自分。

与えられている仕事は雑務が多いも
のの、当時は通訳補助として試合中
にはブルペン入り。

ブライアンシコースキー投手の担当
もしていました。

すぐに飛んで帰りたいところでした
が、試合前に帰るのはとてもじゃな
いものの出来ず…

一軍マネージャーに出産報告をし、
試合終了後に出来るだけ早く帰らせ
てもらいたい、という旨を伝えまし
た。

2016年4月に亡くなってしまった当
時の監督、山本巧児さんにも報告し
たところ、
「おめでとう!試合後でいいのか?
それは助かるけど…」というお祝い
の言葉をいただきました。

しっかり仕事をしてから帰るぞ!と
気合を入れていると、当時の外国人
選手たちが代わる代わるお祝いの言
葉と共に、握手をしに来てくれました。

ニコニコ顔のリックショート選手や
ブライアンシコースキー投手に対し
て、ホセフェルナンデス選手は真顔
でした。

そして、
「お前はここで何をやってるんだ?
今すぐに帰って子供に会ってやれ
よ!

仕事の代わりはいくらでもいるけ
ど、父親はお前だけなんだぞ!

スカイ(シコースキーの愛称)、
お前も今日は通訳必要ないだろ?

コウジに言えば帰らせてもらえる
のか?俺が行ってきてやる!!」

と監督室前まで向かうので、本当
に必死に止めたことを、昨日の事
のように覚えています(笑)。

皆後日、可愛らしい出産祝いを
くれたのですが、ホセはここでも
真顔で、
「お前じゃなくお前の家に一番
必要なものをプレゼントする!
お前じゃラチがあかないから、
今奥さんに電話をして、話させ
ろ!奥さんも英語、話せるんだ
ろう?」
と、直接妻と話をしてくれまし
た。

翌日、でっかいベイビーチェア
をコストコで購入し、持ってき
てくれて、めちゃくちゃ熱い優
しさに感動してしまいました…

その後、西武や楽天でも活躍した
ホセ。今ではフェイスブック友達
で近況報告をしたりしています。

 

渡辺俊介投手の完投勝利試合に

試合が始まり5回ぐらいまで、全
く危なげない投球を続けていた
俊介。

ブルペン入りしている投手陣も、
比較的リラックスムード。

ボブが前日9月15日が大先輩の
小宮山悟さんの誕生日であるこ
と、そして9月16日はボブ本人の
27回目の誕生日でもあることを
聞かされました。

「せっかくならこみさんと一緒
のほうがよかったなぁ。何か悪
いなぁ…」
という何ともボブらしい、のん
びりとしたコメントをもらった
のを覚えています。

試合は結局、渡辺俊介投手が9
回1失点で完投勝利を挙げまし
た。

120球以上投げての完投だった、
と記憶しています。

試合後クールダウンの準備など
をしつつ「おめでとう!」と声
をかけたら、即座に「いや、今
日のおめでとうは雄士でしょ。
いいから早く帰って子供と会っ
てあげなよ!」と返してくれま
した。

俊介は、当時から登板直後でも
こんな感じでごく普通にいい奴
なんですよね。

おめでとう、と声をかけてくだ
さるスタッフや選手たちにお礼
をいいながら、慌てて着替え。

帰宅の途に向かうファンに紛れ
て、水道橋駅から電車に乗り込
んで眺めた外の景色。

妙に鮮明に覚えています。

娘との対面

入院先の病院の前に着くと、義
妹と義弟、そして私の母の3人
という不思議な組み合わせで
アルコールが入り、楽しく出来
上がっておりました(笑)。

面会時間外ではあったものの、
初めて娘と対面させてもらった
ときの感動と、背筋がピンと伸
びるような緊張感は忘れません。

長女の誕生で味わった初めての感情

生まれたこの子を初めて抱っこ
したのは翌日9月17日の朝。

妻から手渡された娘は、壊れそ
うなぐらい小さくて、首もぐに
ゃぐにゃ。

我が子を必死に支えながら、
「ああ、この子が大人になるま
で育てていくために、俺が稼い
でいかなくちゃいけないんだ…」

実感としてそうリアルに感じま
した。

「身が引き締まる」とか「責任
を感じる」といったレベルとは
比べ物にならない、生まれて初
めて味わう「恐怖」に近い感情。

天使のように軽くて、かよわい
子を抱いた感動と同時に、その
重み
に不安を抱かずにはいられま
せん
でした。

 

子どもを持った後、徐々に起こった心境の変化

未経験ゆえの「開き直り」と決別して

曲がりなりにも25まで生きてきて、
留学するチャンスをもらい、自分
の夢に向かって突き進んでいた時
期。

自分なりにリスクはとっているつ
もりでしたが、その覚悟は「何と
かなるでしょ!」という一種の開
き直りにも似たものでした。

それが妻や子供という守るべきも
のができたことを心から実感した
瞬間、崩壊してしまったような
気がします。

結婚をして二人の子供に恵まれて
16年目。

今仕事に向き合っている自分は、
ある種「向こう見ず」だったころ
とは違い、常に正しい危機意識を
備えられるようになりました。

守り守られている、かけがえのないもの

家族を守っていくぞ!という気概
はありますが、実は同時に家族に
守られているような感覚もありま
す。

独身時代は、とにかく自分の生き
がいを仕事にすることしか考えて
いませんでした。

その目的に向かって、脇目も振ら
ず、ひたすら邁進していた時期。

そのプロセスでは知識も経験も
全然なく、いつもテンパってい
たような気がします。

しかし実際に結婚をし家族を持つ
と、情熱は変わらないものの
「何のために働いているのか」
という思いは微妙に変わって
ました。

自分がしたいこと、チャンスと思
うことを優先するのではなく、そ
のタイミングによっては家族の時
期を優先したい。

自然とそんなふうに感じるように
なってきたのです。

それだけ自分が持つことのできた
家族の存在が、何よりも大きいと
いうことなのでしょう。

 

「好きな仕事」のために家族をおざなりにしない

今の時代、どの仕事にもいえるこ
とですが、トレーナー業に関して
も仕事として確立されたものでは
ありません。

家族を養っていくには、厳しい条
件を抱えている人が多いのが現状
でしょう。

結果的に家族を持つという選択を
せずにトレーナー業に邁進する人。

全く反対に結婚や子供が大きくな
ったことを機に、転職する人。

どちらのケースの同業者もたくさ
ん見てきました。

何かを得るために何かを捨てる。

一見すると筋が通っているのかも
しれませんが、欲張りな自分はで
きることなら、一つも捨てたくは
ないです。

好きな仕事をしていくことに対し
て、機会がある家族を持つことや
子育てをすること、を「捨てる」
選択肢をする。

これは勿体ないし、究極的には
本質ではないのではないでしょう
か。

少なくとも今の私にとっては家族
ほど大切なものなんてない、と迷
わずに言えます。

好きな仕事をしつつ、家族を最優
先するという方向にどんどんシフ
トしていきたいと思っています。

大事な仕事、生きがいにしていこ
うと信じられる仕事。

だからこそ家族の一大事には迷わ
ずに捨てられるような潔さを。

矛盾しているかもしれませんが、
そんな覚悟を常に持っていたい
です。

まとめ

この両手で抱っこした初めての日が
ついこの間のように感じている私。

しかし当時の赤ん坊は、高校受験を
控える中学3年生になりました。

健康に健全に育ってくれた娘を見
て、時の流れの早さを感じつつ、
本当にありがたいことだと感じて
います。

毎年毎年、翌年はどこにいるの
かわからないような水商売を選
んだ父親の下に生まれてきた二
人の子どもたち。

上等に育ってくれています。

ほぼ一人親状態で娘二人を育て
てきた妻には、本当に頭が上が
りません。

今までの17年間、素晴らしい出会
いと運に恵まれて、外見的には華
やかなキャリアを積ませてもらっ
てきました。

だからこそキャリア至上主義にな
らないよう、「ただの弘田雄士」
でいることが不安にならないように。

これからも家族を守り家族に守ら
れながら、働いていきたい。

そう思っています。

——————————

長女が生まれてから数日経過した
日のこと。

マリンスタジアムでの試合前練習
後、俊介が「はい、これどうぞ。」
とポーンとボールを渡してくれま
した。

7勝目を挙げたウイニングボール。

2003.9.16と書かれた横には、
命名したばかりの長女の名前が
記されていました。

長女が成人して家を離れる日がき
たら、このボールを持たせよう
思っています。

その日まで、いい背中を見せつつ
笑いの絶えない家族でいれれば
いいですよね。

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。









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アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。