*これは2016年10月に旧サイトに
アップしたものをリライトし再掲
載したものです。
先日、所属するチームでの練習後
のこと。
所属するラグビーチームの選手の下
に学生時代の先輩らしき方が、訪問
にいらしていました。
一昔前の野球界のOBの方のような
横柄な態度(失礼!)には全く見え
まずで面倒見の良さそうな印象。
しかしその選手に対して、
「何人かうちの選手を連れてきた
から、見てやってくれよ!時間が
ある時でいいから、うちの学校に
もきて指導してくれよ!」
と仰っていました。
ちょっと困ったような顔をしながら
も、親切にその日見学に来た学生た
ちに、その場で指導を行っていたそ
の選手。
よく見る光景なのですが、私は
「日本のスポーツはこういう文化だ
よなぁ…」と少し苦々しい思いに。
いたたまれずにその場を後にしてし
まったのでした。
今回は「悪気のない失礼なお願い」
についてと「無償での仕事はしな
い理由」というブログを書いていきます。
思わず「そうそう、その感覚!」と
膝を打ってしまったのが、某大学と
の合同練習での一コマ。
相手の大学のFWコーチの方がやや
食い気味に、
「こういう技術を向上させるために
は、どんな練習がいいのか教えて欲
しい」、「どこに注意をしてみて、
どうすれば選手が良くなるのか教え
て欲しい」
といったようなことを、コーチのス
ティーブ・カンバランド氏に聞いて
いました。
悪気はないのは間違いなく、勉強熱
心なのは重々承知。
しかし一番大切なのは、合同練習に
よって自チームのフォワード陣の練
習で行っていることができている
か、どういった課題があるのかを抽
出すること。
コーチとしてはそこに集中したかった
のだと思います。
相手コーチが聞きたがっていた質問
は、目の前の練習におけるヒントや
考え方を聞いているのではないよう
に感じました。
「自分の技術向上のために」コー
チとしての宝の部分に近い本質的
なことを聞き出そうとしているよう
に、私には聞こえたのです。
そういったアプローチをちょっと煙
たがっている様子で(私の主観です
が)、極力そこから距離を置いてい
たカンビさん(カンバーランド氏の愛称)。
そのうえで100%の集中力で、熱心
に自チームの選手の練習指導をして
いる彼を見て、
「そりゃそうだ。いいぞ!!」と
心の中で勝手に大きく同意してし
まいました。
このエピソードと弘田の考えを
どう捉えるかは読者の方の全く
の自由。
しかし少なくとも同業種の方で
「何ケチなこと言ってるんだよ。
心が狭いなぁ…」
こんな感覚を持った方とは、私は
たぶん一緒に仕事ができないでしょう。
今回のエピソードのような姿勢。
大変失礼な表現で語弊もあるかもし
れませんが、経験上ご自身が真剣に
スポーツに関わってこなかった保護
者の方や、アスリートスポーツに全
く携わったことのない教員の方など
に多いような気がしています。
私は、スポーツ現場に携わるコン
ディショニングコーチとして17年
目を迎えました。
小・中学時代からの友人にも、よ
くお願いされるのが、
「一度うちの子供、見てやって
くれよ。簡単にちょっとでいい
からさ。」という依頼。
「わりぃ、コンディショニング
やトレーニングは俺が真剣に
やっている仕事だから『簡単に』
は無理だわ。見させてくれるなら、
きちんと時間をとってちゃんと
見たいから、その時まで待ってくれよ」
友人には正直にそう言えますが、
保護者や指導者の方にはやっぱ
り難しいです。
私も40を迎えたのでもっと上手
にごまかすというか、こなせ
ればいいんですが「生きるため
の仕事」ではなく「好きを仕事」
にした以上、小器用には立ち回
れません。
悪気がないのは重々承知して
いるつもり。
しかし「ちょっとでいいから」、
「簡単に」なんていう風に指導は
できないんです。
指導をすることでいかなる状況
であっても、そこには仕事として
の自分の評価と責任がついてまわ
るわけですから。
「気軽にちょっと」という感覚で
関わることは、プロとしてどんな
方を対象にしても失格なのだと信
じているのです。
私はタダでは仕事を受けません。
それなりに実績を積んできたから、
というわけではなく、この業界で
働き始めた最初から、自分への覚
悟としても、生意気ですがこの考
えを貫いてきました。
その意義と理由について述べて
いきますね。
これは、「いかなる状況において
も金銭的な見返りを要求する」
という話ではありません。
ただでさえ一般的に認知されてい
ないストレングス&コンディショ
ニングの世界。
トレーニングやコンディショニング
指導の専門家、というカテゴリー自
体が確立されていない状況は重々承知。
そしてそういった専門家がいる、と
いう事実がわかり興味を持っていた
だいたとしても。
目の前の弘田という人材が、その
分野の能力として仕事を依頼する
に値するかどうか、という判断基
準が必要でしょうから。
昔からの関係値がある人物から
の依頼や、営業の一環として無
償で指導を行うことは、当然あ
ります。
しかし公共団体や学校関係では、
依頼はいただくものの報酬につい
ての話が全くない…というか、わ
ざとそういった話題に触れること
なく「ご協力いただければ…」と
いうスタンスで話を持ってくると
ころが往々にしてあるのです。
こういった話は日本独特であるも
のの、もう少し知名度のある仕事
でも結構あるようです。
…でも考えてみてください。
マジシャンは何の努力もなく、さ
らっとマジックを見せてくれるわ
けではありません。
目の前の1~2分の驚きを与えるた
めに何十時間という投資を行って
いるわけです。
ダンサーや演奏家も全く同じ。
出身学校からのオファーなどの特
別な場合を除き、こういった
「プロフェッショナル」の専門
分野を享受するのに、「好意」
に頼るというアプローチは失礼
だし卑怯だと思いませんか?
こういった文化や馴れ合いを
持った団体や人たちが持つ、
「好意」という甘えを許さな
い覚悟を持つこと。
これは、トレーナー業だけで
なく、「人のためになりたい」
奉仕の精神がベースになってい
る仕事を行っている人たちを
守るためにも、絶対に貫きたい
と思っているんです。
日本のトレーナー業界では、それな
りに中堅どころになってきた自分。
「まぁいいか…」とボランティア
で地元の私立中学校を担当するよ
うになったら、そのチームでその
後お金を工面してトレーナーや
S&Cコーチを呼ぶことはまずない
でしょう。
経験の浅い、20代半ばのトレーナー
がそのチームと交渉することに
なったとして、そのときに。
「弘田コーチには1年間善意で協力
していただいたんですが…?」と
切り出されたら、そのトレーナーが
仕事としてそこで報酬を得ることは
できない可能性が高いですよね?
そういった無責任なことを、中堅で
ある我々がしていると、この業界が
認知される日は更に遠くなってしま
うでしょう。
この報酬というレベルは、交通費と
わずかな御礼としての金額でもいい
んです。
自分は仕事としてこの役割を任せら
たのだ、という自信を得られるはず
ですから。
絶対に無償で仕事はしない。
この「宣言」はボランティアだか
ら多少甘く見てね、という逃げ道
を潰す意味でも重要です。
これを生業にしているのだから、
その分求められるハードルは高く
なります。
能力がなければ、仕事として成り
立たないのは当たり前。
日々研鑽を積みつづけて、その
レベルになる以外生き残れない。
専門家としてのプライドを守り、
職業としてのレベルを皆が担保
していくためにも、
「経験不足だから、まず地元で
ボランティアで経験を積んで…」
といった思考に逃げないでほし
いと思っています。
生意気に聞こえるかもしれませ
んが、駆け出しの1年目から、
この姿勢は崩さずにやってきま
した。
スポーツに関わる指導者や父兄
の方は、悪気のないこういった
依頼をしていないか、少しだけ
気を付けていただければ嬉しい
です。
そして私の同業者や同業職の
専門家の方には、
「自分という商品にプライド
を持ち、上手に、でも堂々と
『買っていただく』交渉を
していきましょう!」
と言いたいです。
そのためのタイミングや技術
も、徐々に身につけるべき
能力ではあります。
その辺りもセミナーやブログ
の中で、ご紹介しますので、
興味があればメルマガ登録
やセミナー参加をご検討下
さいね。
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