ヤフー一面の記事としてパッと
懐かしいお顔が写っていました。
望月一さん。
私は実質2年ほど共に働かせても
らったと記憶しています。
1986年に広島入団し、11年間投
手を務めた元プロ野球投手。
今でも忘れられないエピソード
があります。
今日は私が大事にしている、こ
れぞプロ!というキャッチボー
ルについてのお話を紹介したい
と思います。
ある日の練習時。当時まだ現役投手
だった小宮山さん。
先にランニングを行ったため、
キャッチボールの時間がちょっと
ずれてしまいました。
辺りを見回し、
「おい、望月。ちょっとキャッチボール付き合ってくれよ。」
望月さんにそう声をかけました。
本当にきれいなフォームから、威
力のある球を投げる望月さん。
小宮山さんは勿論の事、望月さん
のボールは惚れ惚れするほど素晴ら
しく、しばし二人の美しすぎる
キャッチボールに見とれていたん
です。
これはちょっと写真に収めておこう
と、携帯カメラで望月さんのフォ
ームを撮っていると…
満面の笑顔で小宮山さんが僕を手
招き。
近づく僕に、それは嬉しそうに小
宮山さんは、
[aside type=”boader”]
「弘田、モチのボール、見てろよ。(いい音を出しながら、胸の前のボールをキャッチし)…な、いい投手ってのは、この球のスピンが全然違うんだよ。
もう染みついた感覚で、最後の最後、指先でしっかりとボールを押し出すわけ。
…こんないいキャッチボールの球受けるの、久しぶりだなぁ。」[/aside] とおっしゃっていました。
二人のキャッチボールは20~
40M程度で10分弱続きました
が、寸分違わず、ずーっと胸
~顔の高さにお互い投げ込んで
おり。
THEプロ!という感じで、
それはそれは美しいキャッチ
ボールでした。
プロのピッチャーと言えども、
キャッチボールでの暴投やコント
ロールミスはあるもの。
そんな中で、糸を引くような
二人の球筋、コントロールは
際立っていました。
そんな匠の技術を目の当たり
にできたのは、今の私にとっ
ても大きな財産になっています。
ヤフーの記事をみて、衝動的に
望月さんの声を聞きたくなりま
した。
電話を折り返してくれ、本当に
10年近くぶりに望月さんとお話
することができたんです。
当時、中学生になったばかり
だったご子息は、福井ミラクル
エレファンツに投手として入団
されたとのこと。
年頃だった息子さんを第一に
考えて、目の中に入れても痛
くないくらい可愛がっていた
当時を思い出しながら、
望月嶺投手の「憧れの野球選手」
の答え、『父親』という二文字
を見たら、何だか目頭が熱く
なってしまいました。
良かったなぁ…
本当に良かった。
何だかプレゼントをもらった
ような嬉しい、嬉しい電話
になったのでした。
ある種、仕事としてスポーツ
に携わると、人間関係などに
疲弊することって山ほどあり
ます。
どこか政治的な部分は必ずつ
いて回りますからね。
その半面。
重圧や緊張が高い場所だから
こそ、尊敬できる人物や魅力的
な人にも気づくことができる環境
なのかもしれません。
大変だけど喜びや魅力も大きい
場所。
言葉でいうと陳腐ですが、そんな
場所だということですね。
埼玉の自宅に戻った際には、
ぜひ一度食事に行きましょう、
と約束して、望月さんとの電話
を切りました。
2009年4月。
その日が誕生日だった私のデスク
に、望月さんがぽんっとちょっと
怖い?目がクリっとしたモヒカン
人形を乗せて、
「弘田くん、誕生日ですよね?
これ、似てるからプレゼント」
とおっしゃりました。
トロール人形といって、ノル
ウェーの伝承に登場する妖精の
一種なんだそうですが、どうや
らシンプルに私に似ているから、
ということだったよう。
我が家ではこのプレゼントが大受け
で、いまだにリビングの片隅にて
存在感を発揮しています。
なぜか胸に「神」とかかれて、ペ
ナルティやお釣りが残ったらここに
お金を入れて、たまったら家族で
アイスを買う、という不思議な習
慣ができているほど。
近いうちに、望月さんにまたお会
いできる日がとても楽しみになっ
た、そんな夜でした。
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