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子供の背中をただ見守ることで支えよう

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コンディショニング・トレーニングの専門家として18年目を迎えた弘田雄士です。

早いもので我が家の次女も中学2年。

小学2年生から始めた女子サッカー。中学校に上がり、自らの意志で県内でも有数の強豪クラブチームに入団。

小学校時代からキラリと光るような動きを見せていた選手ではなかった彼女。

徐々に競技スポーツの持つ残酷さや現実が見えてきた模様。

成長期の過程で変化し、ままならない自分の体にも翻弄されつつ、押しつぶされそうな気持ちと戦っています。


父親としては「優しい」ではなく「甘い」と妻から言われ続けている自分。

胸が締め付けられるように切ない気持ちにはなっています。

親は口出しすべきではない

体の動きを見ることは私の専門分野の1つ。

ついつい1から10まで口出ししたくなります。

そこはグッと堪えてとにかく見守るように心がけています。


一番の大きな理由は、自分の学生時代の経験が今の自分の指導スタイルを創っているから。

自分自身に呪文のように言い聞かせているのが「く・ち・だ・す・な」です。


私自身、バリバリの現役パパなのでこれがとても難しいことなのは重々承知しているのですが…

葛藤だらけの高校野球時代

甲子園を目指していた高校野球時代。

中学まではそれなりに実力を認められ自信を持っていた野球。

ある程度覚悟はしていたものの、想像以上に高校での野球部時代は苦しく、挫折だらけのものになりました。

【詳しくはコチラ↓】

コンディショニングコーチを目指した原点とは

勝つことを目的としたそれなりの強豪校では、「実力者≒発言権のある人間」となります。

ちょっと理不尽なことでも、主力選手が主張したらなかなかそこに反論することは難しい。

客観的に考えて正しいと考えることが受け入れられるとは限らないわけです。

更に。

当然ですが「必死に努力し費やした時間≠求める成果・結果」でないことも痛感した時期でした。

自分が10努力しても、1~2程度の気持ちで取り組む選手の方が気持ちよく結果を出していく。

ひとたび社会に出れば、そんなのはある種常識。

頑張った分だけ報われるわけではないし、努力の方向性をきちんと取捨選択しなくてはいけないに決まっています。

それでも16~17歳の高校生にとっては、自分の価値観がガラガラと音を立てて崩れるようなショックだったんですよね。

競技スポーツ選択で学ぶ「理不尽と矛盾」

レクリエーションスポーツと競技スポーツ。

最初はただ好きで楽しく無邪気に上手くなりたい!で良かったスポーツ。

真剣に、そのスポーツに深く関わっていこう!と考えるならば、どこかのタイミングで我が家の娘が選択したように、より専門的な「競技スポーツ」方向へシフトする時期がくるもの。

そこで感じるであろうことは、競技スポーツの持つ「理不尽」さと「矛盾」です。

上手いものはある程度、特別扱いされますし、皆平等にチャンスを与えられるわけではありません。

好きで始めたはずのスポーツが、自分を最も苦しめる。

好きなスポーツだからこそ続けるために、代償となる悪条件を飲まされたり、その気持ちを利用されたりする。

「ひどい!そんなことあるべきじゃない!」

そう思ったとしても、よりリアルな競技スポーツに足を突っ込むと、これらの現実は多かれ少なかれ存在するんです。

スポーツを通してでしかできない経験

こんな思いや気持ち。自分の子供に好き好んで経験させようとする親はいませんよね。

でも。

社会に出てしまったら、どんな人でも絶対に1度は体験せざるをえないような、貴重な経験。

真剣にスポーツに向き合うことで、家庭内や教室では絶対に味わえない経験を得ることができる。

ちょっと残酷ですが、この点も真剣にスポーツに没頭することで、子どもたちが得られる大きなメリットである。

私はそんな風に考えています。

どの世代でも親が口出しすべきでない理由

我が家のように子供がレクリエーションスポーツから競技スポーツへ移行した子供を持つ親御さん。

子供が自分自身で考えて、人間的に成長する絶好のチャンス。

そう考えて、よくも悪くも子供に口出しするのは避けましょう。

良かれと思って先回りして、答えや解決法を教えてあげたとしても、ずっとお子さんの傍らにあなたがいてあげられるわけではありません。

ちょっと失礼な表現ですが、100%信じて伝えていることが正解とも限りませんし…

とにかくグラウンドや体育館など現場に赴いて、叱咤激励するのはオススメしません。

これ、結果的にどの世代でも同じ。

親は口出ししないのが一番なんです。

小さい子どもの保護者の弊害

小学生ぐらいのまだまだ小さなお子さんがいる家庭のお父さん、お母さん。

こちらはもうちょっとアドバイスや叱咤激励してもいいよね?と思われているかもしれません。

でも、この世代こそ気をつけないといけません。

「もっと○○に動け!」

「サイドに仲間いただろ!何で見てないんだ!」

「本当に上手くなりたいのか?それじゃあ今のままじゃダメ!」

…せっかく無邪気に興味をもって始めたスポーツ。

この時期に「ただただ思い切り楽しく」プレーできないと子供が可哀想です。

ましてや発育途中にある子どもたち。

周りをみて判断する周辺視野や、反射を利用した瞬間的な動きなど、まだできるわけないわけです。

専門家やコーチとして、きちんと勉強をして経験を積んでいるならまだしも、
「昔自分も野球をやってた」、
「子供が始めてから勉強した」
といった保護者の方が素人考えで口を出すべきじゃない。

…ちょっと考えたら理解できると思います。

その場にいる、自分の子供の身長や身体感覚を鑑みて、どんな視覚情報や聴覚情報から体を動かしているのか。

そのイメージぐらいはリアルにできないと、アドバイスすら送れない。

専門家のはしくれとして、選手の動きを追いかける私は、自分自身にそう言い聞かせて、真剣に子どもの動きをみています。

大学生以上のアスリートの親の特権

蛇足になりますが、唯一好き勝手に気持ちよく応援していいのは、大学生以上のアスリートの保護者でしょう。

悪い意味でなく、浜口京子さんのお父さん、アニマル浜口さんみたいなケースですね。

娘さんは親御さんの愛情の部分と伝えたい本質を取捨選択し勇気づけられていますし、いい意味で「流すべきところは流せる」世代です。

子供がそのレベルになるまで、もっと口出したい気持ちを堪えて、ひたすら費用面や環境面を調えてあげた、親への特権。

そんな風な視点でオリンピック選手やアスリートの親御さんの夢中で応援する姿を見ると、また違う感動が得られる気がしませんか?

モヤモヤの気持ちの先にある成長を信じよう

我が子が抱える苦しみや葛藤。

代われるものなら代わってあげたですよね。

でも。

子供が抱えるモヤモヤの先にある成長を信じて見守る。

これがどんな状況でも必要な姿勢なのではないでしょうか。

小学3年生のとき、当時の担当の五百川先生に漢字を学んでいた際、
親という漢字の成り立ちは、木の上に立って子供を見守りつづける、という意味なのよ」
と言われて、ああ、なるほど、と思った記憶がずっと残っています。

子供から見えるか見えないかぐらいの距離で、ただただ後方から見守る。

「頑張れ、頑張れ!もう駄目だと思ったら帰っておいで…」

わが子の背中に念を込めつつ表面上は涼しい顔で距離を保つ。

そんな親でありたいもの。

親も人間ですから、ときには強い口調で声を上げたり、我慢しきれずに干渉することもあるでしょう。

それでも、何とか自我と戦いつつ見守る。

一つの修行みたいですが、そんな忍耐力を親世代の方たちと共有しつつ、身につけていければ。

日本のジュニアスポーツの環境も、もっと肩肘張らずに笑顔の多いものになると信じています。

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。
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