2018年3月。かわいい二人の娘たち。次女もいよいよ今月を持って小学校を卒業します。そりゃあ自分も年を取るわけだ…と自虐的に感じているところ。
昨日、年間を通して妻が小学校にて8時20分~8時35分の15分間を用いて参加し続けていた「読み聞かせ」の代役をこなしてきました。
以前1度参加させてもらった、読み聞かせ。基本は絵本を読むのがコンセプトのもの。…さて、どんな本を読もうか。自宅にある絵本の中から手を伸ばしたのが「いきのびる魔法 ~いじめられている君へ~」でした。
大阪での単身赴任期間中、長女の誕生日に間に合うように送ったのがこの本。以前妻と書店をみていた際に感銘を受けたものでした。
長女が今こういった問題に直面している、ということではありません。しかし対人関係でもどんどんと難しくなっているのは事実。自分の学生時代の経験を通して考えてみても、中学や高校時代というのは自分の命や存在が「軽く」感じてしまいがちな時期でもある、と感じています。
私の場合は実の姉が中学2年から高校入学の時期まで、非常につらい時期を過ごしました。頼りがいがあり優しかった姉が不安定になり、顔つきが変わっていく様子に心を痛めていました。特に女子に関しては、この時期独特の危うさというか大変さがあると感じているんですよね。
今リアルな問題に直面していないからこそ、絵本という形を通して何らかの「免疫」としてこの本の持つメッセージが伝わればいいなぁ。そんな気持ちを込めてプレゼントしたものでした。
当時、小学校5年生だった次女もこの本を手に取り、同時掲載されている「うつくしいのはら」という戦争の続く途上国の現状を表したストーリーを読み、涙していました。
答えのない難しいテーマも含まれているんですが、絵本やマンガという形で物語が紡がれるからこそ伝わるものってあるのだと思います。
あまり小さい時期に衝撃だけを与えることはよくないのでしょうが、当時13歳と11歳というタイミングで、娘達にこの絵本を見てもらうことが出来たのは良かったです。
遠い昔の話ですが、25年以上前の自分が中学生だったころ。学校は生活のど真ん中にあり、大きな割合を占めていました。
私は家庭内での離婚問題がリアルな時期でしたから、むしろ学校はある種の逃げ道になっていました。心配してくれながらも、無邪気に相手をしてくれる友人が何名かいて、彼らの存在に救われて多感な時期を乗り切ることができたんです。
今と比べると携帯電話もLINEもありませんから、いじめの内容もそれほど多様化していない「良き時代」だったのかもしれません。そんな当時でも不登校の生徒はやはりいました。原因はいじめであったり、学校という場所に馴染めなかったり、様々あったと思います。
中学3年生の時にも同じクラスに不登校の男の子がいて、卒業式の前日に「せっかくだから最後はクラス全員で卒業をしようよ」という話になり、担任と相談。代表者6名ほどで彼のうちに迎えに行き、30分ほど早い時間に一緒に登校。
かえって彼の精神的負担になってしまったのではなかったか。40歳を過ぎた今考えると、ヒヤヒヤする部分もありますが、一緒に黒板にメッセージを書いたり記念写真を撮りました。当時の中学生には、「ここから先は踏み込んじゃいけない。これ以上したら悪ふざけでは済まない」というバランス感覚が常識として備わっていた気がします。
たまたま私が学生時代を過ごした地域が良かっただけかもしれません。しかし小~高校時代を通して幸運にも同じ学校で自殺者が出る、という経験をすることはなし。これは当たり前ではなく、本当にラッキーなことだったと思っています。
3月は自殺防止強化月間。読み聞かせの担当となる小学6年生のクラス用に選んだ「いきのびる魔法~いじめられている君へ~」。この本の中で作者の西原恵理子さんが書いている一文は衝撃的です。
「この国は形を変えた戦場なんです」
2016年には久しぶりに減少傾向となったものの、日本の年間自殺者数は依然20,000人以上。交通事故死の数は4,000人を切っています。
日本で最も自殺者が多いのは実は20~44歳の男性で、今回のテーマとは違う問題を抱えているのでしょうが、自殺大国であることは間違いありません。
学校に行くことが苦しくて苦しくてたまらない学生に、まず知っておいてもらいたいこと。それは学校が生活のすべてではないよ、ということです。
今、生活の中で大きなウエイトを占めている学校という存在は、10年経てばただの通過地点だった場所に変わります。今、学校の中の環境に馴染めず自分を責めている人は、実は他の学校だったらそんな思いをせずに充実した学生生活を満喫しているかもしれません。
本当に苦しい時期は学校に行かなくていいんです。
転校することもできるし、後に大学に行きたくなったら通信で勉強をすることもできます。皆と全く同じペースで進んでいかなくちゃ、という焦りも30年、40年と生きていくともう関係なくなっていきます。
私の知人の女性は、高校時代にいじめに遭っていた時期があったそうです。我慢強く、親に心配をかけたくない一心で学校に通い続けた彼女。ある日の朝、苦しくて悲しくてどうしても学校に行きたくなくなってしまった彼女。
お母さんに「学校に行きたくない。休んでもいい?」と尋ねると、少しの間顔を見つめて「わかった。…じゃあ一緒に映画でも観に行かない?」と言って、彼女を映画に連れ出したそうです。
一緒に過ごす時間、お母さんは一切彼女に学校について聞かなかったそうです。そんなお母さんの様子に本当に救われたんだ、と彼女は語っていました。
今は子を持つ母となった彼女。自分の子供が同じようなSOSを発することがあっても、彼女はしっかりとその気持ちを汲み取ることができるのではないでしょうか。
生きているとつらいことって必ず起こります。成人しようと60歳、70歳という年齢を過ぎても、そのつらさは同じだし強く立ち向かう必要なんてないんです。時間を上手く利用して、自信を持ってやり過ごすこと。そのために一時避難で逃げちゃうのは、立派な作戦です。
今は難しくても少しでも早く、笑顔で過ごせるような人生を送れる自分になること。そのことを最優先に考えて、逃げてもいいから生きていきましょう。自分の中の「有給休暇」を使って延長してしまえばいいんです。
これから先、「わ、今生かされていて本当に良かった!」と思える瞬間は必ず何度か訪れます。そんな日のためにまずは「生きる」ことにシフトは切ること。
月曜日の朝っぱらから、クラスメイトの父親が来て「命」について絵本を読み、熱く語って帰っていく。…私が担当したクラスの6年生は大きく戸惑ったことでしょう(笑)。
それでも4月からは中学校という新しいステージに進んでいく子供たちの中の一人にでも、「とりあえず生きるモードにしろって言ってたな」と記憶に残ってもらえたら大成功。
たまたまですが、こんな機会をいただけたことに感謝する、そんな一日となりました。