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単身赴任と家族帯同の決め手とは

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2014年5月末に、現在の所属チームからオファーをいただき大阪に単身赴任。翌年はS&C部門のリーダー、ヘッドコンディショニングコーチとしてチャンスをいただきました。

住むところも家族で住めるマンションとなり、妻は「あなたが望むんだったら家族で行くよ」と言ってくれたんです。それでも家族を大阪に連れていくイメージは全くありませんでした。

 

大阪に家族を連れてこなかった理由

2007年にそれまで住んでいた都内のマンションを売却し埼玉の一軒家へ。
長女が幼稚園に入るタイミングで、娘たちに程よく田舎で伸び伸びと成長できる環境を用意してあげたくて、「華のローン組」になりました。

幸い妻も子供たちも、今の自宅の環境に感謝し安心して過ごせています。何らかの問題を抱えた状態であればともかく、基本不安定で一年ごとにどこにいるのかわからない私のような働き方に振り回されずに、落ち着いて日々暮らしてほしいんですよね。

当たり前のようにこう考えるのは、自分自身の体験も大きいと思います。

私が小学四年生の頃、当時東京ロッテオリオンズの選手だった父の阪神タイガースへの移籍が決まりました。

珍しく家族4人がテーブルで向かい合い、父からの「重要な話」を聞くことに。
「あと何年プロ野球選手でいられるかわからないけれど、家族で大阪でサポートしてほしい。ついてきてほしい。」

そういった趣旨の話だったと記憶しています。

即答はできませんでしたが、正直既に良好な家庭環境だったとは言い難かった当時の弘田家。
「嫌だ!東京に残りたい」という姉の主張に乗っかるように私も大阪行きを拒否。

結果的に父は単身赴任で大阪に渡る事になったんです。その2年後にはあの昭和60年の阪神日本一があり、父の人生の大きな転機になりました。

昭和63年には両親は正式に離婚することになりましたから、この単身赴任が離婚への決定打となったのは間違いないと思います。

遅かれ早かれ両親の決断は変わりなかったはず。結果的に、あのとき大阪についていかずに仲間たちと過ごせたこと。それが今の自分のアイデンティティを形成している、という実感がずっとあるんです。

だからこそ自分の「好き!」を仕事にした人間として、妻や子供たちに選択肢を与えないような振る舞いをしたくない。そんな風に考えているんですよね。

2014年の冬、自分が幼少期に経験したときのこと、自分の考えを家族に伝えた後、「今の話聞いてみて、二人は実際どうしたい?正直に教えてよ」と娘たちに尋ねました。
二人とも、私の目を見てニッコリと「パパ、大阪で頑張ってきて!できるだけたくさん帰ってきてね!」と元気よく答えてくれました。

 

 

一区切りのタイミングまでどちらも覚悟を持って

トップリーグの別のチームでS&C部門のリーダーとして活躍されている知人は、以前のチーム移籍の際も今回のチーム移籍にも家族帯同で臨んでいます。

素晴らしいし羨ましいですが(笑)、どちらがいい悪いということではなく、家族内での話し合いや理解が為されていればいいのでしょう。

気がつけば単身赴任生活も4年目。長いと思っていたアメリカ留学生活も3年半だったのでずいぶん長いこと、一人で生活をしていることになります。
ずっとこの生活は続けられないですし、一区切りのタイミングはそう遠くありません。

ただスポーツ現場の仕事に関わっていくのであれば、オファーが複数なければお仕事をいただける場所へ行くしか選択肢はない。
北海道から沖縄、そして海外。結果的には更に遠い場所で働くことになるかも知れません。その都度、タイミングを考えて家族と話し合っていくことになります。

こういった不安定な環境に理解を示してくれる妻や娘たちに感謝しつつ。「好き」を仕事にした人間の責任として一所懸命に働いていきます!

 

 

それではまた、お会いしましょう。弘田雄士でした。

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。
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