このブログ記事は音声配信stand.fmにて発信した内容を記事化したものです→https://stand.fm/episodes/60ac5c79ff44a4efdef977d5
本日は過保護ではなくお節介になろうという話をしていこうと思っています。
私はトレーニング指導者として20年目となるスポーツ現場に今も立っていますが、常に意識しているのは「自ら立つことができる選手を作る手助けをするのが私の仕事だ」ということです。
圧力であったり、トップダウン型で命令をしてトレーニングさせる。そういったトレーニングをさせることも時には必要なことがあるかもしれません。しかし、そういったやり方や行為はポリシーに反するため、私は絶対にしません。
理想をいえば自ら考えてトレーニングや練習をする選手たちと、こんな状況ができたら完璧だと思っていますが、ただそれを期待して放っておくというのはNGですよね。
自主性を重んじるといっても放任となってしまうと、いい加減すぎる。そして何もしてないってことになってしまうと導くこともできません。
やはり、ある程度干渉はしていかなきゃいけないところがありますが、ここで難しくなってくるのが「過保護とお節介の境界線」です。
「お前大丈夫か?」「怪我してないか?」「こういうストレッチしろよ」「その後これやれよ」「これ報告しろよ」「なんかあったら手伝うよ」…。
1から10まで、言い続けるのは過保護ですし、選手に考える隙も与えない状態になってしまうのでよくないです。
一方、お節介というのはもうちょっとニュアンスが違って「ちょっといいづらいけどこう思うぞ」「こういうのも考えてみろよ」と適宜伝えるイメージです。
結論としては私はお節介ではありたいと思っているんです。
ここの違いはある程度明確にしないとごちゃまぜになってしまうというところもあるので、自分なりの解釈を考えると、
・過保護は一言でいうと、甘いこと
・お節介は優しいこと
だと考えています。
私がキャリアの最初の頃、20年近く前に、当時の千葉ロッテ投手、小宮山悟さんにいわれた「お前のは優しいんじゃない。甘いんだよ」という言葉。
これをすごく心に留めていて、やはり甘い指導者になってはいけないし誰のためにもならないと考えています。そのうえで、本質的には優しい指導者でありたいと思っているんです。
このバランスはとても難しいですが、一番大事なことは「あなたに興味を持っているよ」という様子を伝えて、接触する頻度を高めておくこと。必ずしも真面目なことばかりを伝えるということだけではありません。
「あれやったか?」とか「こういう風にしてんのか?」とか「これダメだぞ」とか指示とかダメ出しばかりでは、やる気がなくなってしまいます。親と子供の関係でもそうですよね?
意識しているのは、軽い会話-真面目な話-軽い会話、という感じでサンドイッチすること。
選手側からすると「この人、歳も重ねてきたからか結構いいかげんにヘラヘラいいやがって」と感じているかもしれませんが、そう思ってくれていれば大成功。
「おい〇〇、その新しい靴どうなの?ちょっと派手じゃない?」という類のコメントをバンバンいいますが、個人的には意識して軽い会話を挟んでいるつもりです。
ジャブを打っておいて「この選手、こういう傾向があるな」だったり「この部分、最近疎かにしているんじゃないかな」というのをしっかり分析しておく。
軽い会話をした後に、ポンッと「わりぃ、一個、真面目な話なんだけどさ、」という感じで大切と思うことを伝える。
それだけだと萎縮してしまったり、警戒してしまうので、その後また軽い会話に戻るといったイメージです。
台湾の政務委員としてデジタルを使った横の連携を作っていることで、今回の新型コロナ禍対策やマスク対策等で、一躍脚光浴びているオードリータンさん。
彼の日本で出した著書「デジタルとAIの未来を語る」という本を読んだのですが、その中で台湾の言葉「雞婆(ゲーボー)」という言葉が今後の社会に大事だよと伝えていました。
雞婆というのは「面鳥みたいな鳥のようなおばあさん」と書いて、お節介で周りの人を放っておけない人のことを指す言葉だそうです。
この雞婆というのが台湾の文化として根付いていて「これが今後の社会にすごく大事なんですよね」とデジタルの話と交えてお話をしていたのが印象的でした。
相手に興味を持ち、必要と思うことを適切なタイミングでさりげなく伝えていく。
あまり感じさせたくはないですが、干渉していく時にも過保護な感じでもなく、ダメ出しな感じでもなく、適度にお節介な指導者として。
そんなふうに選手と接することができる指導者でありたいなと思っています。