親の立ち位置とコーチングの類似点についてのお話です。
2021年3月、我が家の次女の希望校合格が決まりました。埼玉県の県立を受験したので、東京や神奈川に比べると日程が遅いんですね。
合格発表の1週間後には卒業式。感傷に浸る暇もなく、コロナ禍での卒業式ということで、私は参加できず、実感のないまま次女が高校生になってしまいました。
彼女は悩んだ末に自分で決めて1つの高校を選んだのですが、その経験そのものが良かったなと感じています。
子供を複数持つ親御さんはわかっていただけると思うのですが、
・同じ環境
・同じ文化
・同じ親
から育っているはずの子供たち、一人ひとり、やはり最初から「気質」がありますよね。
物事の捉え方や雑なところなどは、それぞれ全く違っている。同じことを伝えようと思った時にも、伝え方やタイミングというのは、その子供の性格だったり気質によってやっぱり見極めなきゃいけないわけです。
一般的には18歳以上から受けるべきといわれている「ストレングスファインダー」、ご存知でしょうか。
年齢制限を設けてある理由は、ある程度人格が形成されてこないと、その質問に答えていっても気質の傾向ってあまり性格に出ないよというもの。
ただ、我が家では興味を持っていたこともあり、私が受けたのを皮切りに妻、当時高校1年生だった長女、そして中1だった次女と全員やってみたんですね。13歳だった次女に関しても、冷静な子なのでそんなに傾向としては変わらないだろうから、気質は見られるだろうと思って受けさせたわけです。
・回復思考
・共感性
・コミュニケーション
・親密性
・規律性
最後の規律性などは私には一切出たことがなく、彼女の性格を考えるとストンと腹落ちするものでした。
人の気持ち察したり、自分の考えを人に伝えたり、人の悲しみとか辛さとかを共感ができる点。それでいながら、回復思考が示すように繊細な部分があるため自己防衛本能みたいなものも強いのだろう。
感覚的に理解していた彼女の気質を、きちんと見つめられたのは私にとっても、とてもプラスになりました。
高校受験に関しても、周りの動きに惑わされずに、精神的な重圧の高い知名度のあるところなどは敢えて避けてもいいよな…と考えつつ、家族間のコミュニケーションを密に取るように心がけました。
結果的に受かったのは嬉しいですが、必ずしも合格が成功で不合格が失敗という捉え方はしてないことを、親としての彼女に強調してきました。これは長く生きてきた親世代の方にはわかっていただける感覚でしょう。
親は子供がかわいいものなので、なかなかわざと失敗させる経験なんてことはできません。挫折だったり、うまくいかなかったっていう経験を、自分の人生の中で自然と経験してもらわなければいけない。
見る側としてはできるだけそういった失敗をして欲しくないし、落ち込んでいる姿を見たくもの。それでも長い目で見たときに「うまく転べる」という経験値は必須ですからね。
最終的に「ここに行きたい。こんな風な高校生活を送りたい」というのを彼女自身が決めることができました。決めることができて腹落ちした時点で、もう何にも代えがたい経験だったと思います。
2022年3月現在、今度は高校3年生の長女の大学受験の合否を待つ時期となりました。
次女のときと同じように、自分自身のことよりもドキドキしていて胸は苦しいですが、それでも結論めいたものは理解できるようになった気がしています。
結局、導くことやアドバイスをすることはできますが、決定する権限は親であろうが監督であろうが指導者であろうが誰にもないんですよね。
成熟した日本の国のこの時代に生まれ落ちた幸せ。これを享受するとともに、日本の文化で生きている限り、もう生まれ落ちた瞬間から、その人の人格や決断、生き方というのを尊重するべき。少なくとも私はそう思っています。
実際に可愛い子どもの親という立場になってみると、なかなか自分が理解している通りにはならず、ついつい口を出したり腹を立てたりしているわけですが…
そんなとき、自分に問いかけるわけです。
「いや待てよ、そんなコーチってどうなのよ?」
俺のいう通りすればいいんだ、こうしなさい!っていうコーチが正しかったり、そんな人の言うことを自分がスポーツ選手であったら、絶対に聞きません笑
それで冷静になれたりするんです。
トレーニング指導というコーチングの仕事をしながら経験したことは、家庭の中で父親という存在として子供に向き合うときに、確実に役立っています。
もちろん、自分が親として日々試行錯誤しながら、子どもたちと接する工夫は、同じようにスポーツ現場での業務でも役立っているんですよね。
この2つは基本は全く同じなんだなぁ、ということを改めて感じたりしています。