トレーナーの地位向上。綺麗ごとでなくいいバトンを次世代に渡すには

2016年の暮れのこと。アドバイザーを務めるタチリュウコンディショニングジムの執行役員、三浦佳祐を交えて、施設運営に携わるトレーナーの方と大阪にて会食を行った際。トレーナー業の世代に関して話題になりました。その時のブログをリライトしていきます。

いいバトンを次世代に渡すためには

歴史の浅い日本人のトレーナーのキャリア

立花龍司さんを筆頭にトレーニングやコンディショニングという概念が日本で初めて浸透したのが1990年代。日本体育協会によるアスレティックトレーナー資格が出来たのもこの時期だと記憶しています。

そして岩崎由純さんに代表されるような当時の本場といわれるアメリカでアスレティックトレーナーの資格を取った日本人が誕生。

アスレティックトレーニングやリハビリテーションに関しても、この時期からが日本におけるトレーナーの創成期ともいえるでしょう。

この集まりの中で、2016年度をもって順天堂大学教授の鹿倉二郎先生が定年退職されたという話を聞きました。つまり鹿倉先生が我々の先輩として日本でほぼ最初の「トレーナーとしてのキャリアを全うした」人物となったわけです。

…改めて思うことは、「日本でトレーナーを生業とする」ことの歴史はまだまだ浅いという事実です。

立花さんや岩崎さんをトレーナー第一世代と考えるならば、今脂の乗り切った世代として現場に出ている40前後のトレーナー陣。弘田が入っているこの世代は、いわばトレーナー第二世代です。

一回り下、30前後の世代を第三世代と捉え、30代半ばの「松坂世代」前後がトレーナー2.5世代と考えると、私の中の整理はすっきりとまとまります。

 

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難しいポジションのトレーナー第二世代

就職にしろ、トレーナー業界にしろ「1972~1978年辺りのトレーナー第二世代」。正直煽りを食らっている不遇の世代です。

パイオニアの方々が道を切り拓いてくださったお陰で、この業界への注目も集まり仕事になっていたものの、世の中はバブル崩壊の影響が出始めた時代。昭和47年~53年生まれぐらいはモロに「就職氷河期」の時期でした。

「トレーナー」を目指す、といっても専門の教育機関は日本体育大学や大阪体育大学、創成期のスポーツ専門学校ぐらい。当時は国際武道大学やびわこ成蹊スポーツ大学のような特色豊かな学校はまだない時代。

誰に聞いて、どこから情報を得たらいいのか。どういうプロセスを経てどんな経験を積んだら自分の思うような場所で仕事としていくチャンスがあるのか。

そういったことが今よりもっと漠然としていて、どうしたらいいのかわからないような状況が、2000年付近まではありました。

日本におけるトレーナー創成期の方達ほどインパクトはない。
現在の第三世代ほど情報を自由自在に得られて、たくさんの取捨選択ができる状況にもない。

トレーナー第二世代は、オリジナリティという意味でも難しい世代といえるでしょう。

そんな「真ん中世代」だからこそ、できることやしなくてはいけないことがあるのではないか―。私自身は今そんな風に考えています。

 

トレーナー第二世代の持つ意味

第一世代の方たちは、スポーツ現場の中で自分たちの存在価値を創っていったり、円が極端に安い時期に海外に自費で短期研修に行ったりされてきました。

パイオニア世代の様々な苦労をしながら情熱をもって「トレーナー」という分野を開拓していった熱量。

第三世代が持つ、莫大な情報量とバイタリティ。自分次第ではある方面のエキスパートに最短距離でいけるものの「どこに向かったらいいのか」、「トレーナーとして自分の芯(コア)の部分って何なんだろう」という漠然とした不安。

舗装されてはいないものの、道になりつつあったルートを自分なりに整備しながら進んできた第二世代。
悩むほどの選択肢がなかったお陰で自分はこの業界の中でどんなことが好きで得意で向いているのか」を自然と体得しやすい環境にあった第二世代。

創成期のプロセスを目の当たりにしつつ、才能と情熱豊かな次世代の混沌やある種の閉塞感も感じることができるのは「間の世代」だからこそ、なのかもしれません。

今後トレーナー業界で大切になるのが「縦のつながり」と「他業種」との連携だと感じていますが、これから5~10年の間にトレーナー業界における縦のつながりのキーになるのが第二世代のポジションでしょう。

特に50~60代の第一世代はなかなか「伝承」というイメージが少なく職人気質の方が多いもの。ここの経験を無理なく自然な形で伝えていくことは、トレーナー業界を成熟させていくにはより必要なことです。

方法論やアプローチが古くなっていても、目的の部分や実際の経験は間違いなく第三世代にとってもかけがえのない情報になるはずですから。

自分が属する第二世代、個人的にはちょっと元気がないような気がしています。無謀な挑戦を続けていてはいけない時期ですが、まだ老けこんだり「守りに入る」ほど安定も満足もしていないはず。

縦のつながりを促通する酵素のような働きを業界の中で意識的に行う。私自身はそういった意識を持ちつつ、この業界で根を張っていきます。

千葉ロッテ時代に同い年で切磋琢磨してきた、J.Tこと高橋純一氏も法人化。企業や一般の方とのアライアンスを推し進めています。

しんどいこともたくさんありますが、J.Tのように自分と同じように歯を食いしばりつつ、前の方を走っている同世代の活躍をみると心底勇気づけられます。

トレーナー第二世代、まだまだ老け込むことなく走りながら武器を拾い続けていきましょう。

専門家&変化に適応してこそ「いいバトン」を渡せる

時代の変化に妥協することなく柔軟に適応しながら、この世代だからこそ見せられる「深化したキャリアの重ね方」を構築。

その背中を第三世代に「ああ、あんなキャリアデザインをしていくのもアリだなぁ…」そんな姿を見せたいもの。

「トレーナーの地位向上を目指して」、「本物のトレーナーを育成する」…耳障りがよく正論なのかもしれませんが、スポーツ現場の最前線で単年契約を重ねてきた私。正直、詭弁に聞こえて腹落ちしない理想論に感じています。

古臭いかもしれませんが、四の五の言わずにまず自分が「学びたいと思われる本物」になること。自分という商品を最大限スケールして、結果的に「トレーナー業の存在意義を認めてもらう」一端を担うこと。それが大前提でしょう。

2018‐2019年のテーマとして、「トレーナー業界で踏ん張っている人たちの力になっていく」というものがあります。自分が感じる「詭弁」のようなサポートにならないよう、自問自答を繰り返しながら、今できることにチャレンジしていきます!

こういった話がヒントになるなぁ…と感じる人は、ぜひ都内で行う90分セミナーの概要もチェックしてみてください。

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YUJI HIROTA

アスリートスポーツの現場をメインに活動するトレーニング・コンディショニングの専門家。「コンディショニングコーチ」ですがスポーツトレーナーといった方がわかりやすいのかも。実は鍼灸師でもあります。
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